やさしさに包まれたなら・・・優しい男 13話まで
愛とは依存なのかも、と感じた13話まで。
マルの愛し方は、なんて優しくて哀しいのだろうか。彼は、誰かを愛し、守ることで、自分がこの世に生きていてもいいと感じる男なのだろう。簡単にこの世界を生き抜く能力があるが故、自分自身の存在価値を、誰かに頼られることでしか実感できない男。相手から依存されることでしか、己の存在価値を見いだせない男。
なんて、哀しくて、悲しい人なのだろうか。
ウンギのとげとげしい、ヒステリックな口調の裏の孤独な、怯える少女を見出していたマル。
「好きって言葉を、逢いたいという言葉を、怒りながら言うんだ」
最初から、ちゃんとウンギのことを見ていたのね。ただ単に、ジェヒヌナとの駆け引きに使うだけではなく。12話のモノローグでも語っているように、ウンギの中に、愛されたかった自分の姿をも見出すマル。
記憶をなくしたウンギを、真綿でくるむように、優しさと、愛で包みたかっただけなのにね。
ウンギは、マルの元に戻ってきたから。
彼があの家から引っ越さなかった理由を知って、私は号泣。
ジェヒは遅すぎたけれども、ウンギは間にあったのだ。
しかし、マルはまるでロボトミー手術を受けたかのようなウンギを愛しているのか・・・というとちょっと違うような気がする。彼が大切にしたかったのは、あのヒステリックで、世界に怯えて総毛立っていたウンギなのではないかと、思うのだけれども。記憶を失ったウンギに優しくするのは、罪悪感からで。
傷つけたウンギにやってあげたかったことを、記憶がないウンギにしてあげているのだろうなぁ。
あのエキセントリックなウンギを、本当は優しさと愛で包んであげたかったのにね。
ウンギが記憶を取り戻した瞬間に、この「幸福」はおわるなんて。まさに砂上の城。
しかし、早くウンギには元のウンギに戻ってもらい、マルを頂点とした、ウンギ、ジェヒヌナの三人の闘いが、見て見たいのですが。
天使ウンギは、too muchです。
12話あたりから出てきた「父親」というキーワード。
ウンギのエキセントリックさは、daddy’s petであろうとした結果であり。長男としての役目を背負わされた娘という、精神分析の教科書に出てくる典型的なパターンでしょうね。
「父親」という枷から、恋愛の力で逃れようとしたウンギ。そして父を亡くした今、マルの庇護の下生きているが。彼女が本当に自己を確立するためには、記憶を取り戻し、マルと、ジェヒと対峙しなくちゃいけないのよ。
また、12話のマルのモノローグは「父さん・・・」という問いかけで始まる。
これは、この後、何か意味があるのか。マルにとっての父親の存在とは、どういう意味を持っているのかにも興味あるわ。
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