愛なんていらない
愛なんていらない (2008年 韓国)
監督: イ・チョラ
出演: ムン・グニョン, キム・ジュヒョク, チン・グ, ト・ジウォン
■ストーリー■
愛を信じない冷酷なホスト、ジュリアン(キム・ジュヒョク)は、彼に貢いだ女性客が会社の金を横領して自殺未遂を計り、逮捕される。出所した彼には巨額の借金が待ち受けていた。そんなとき、父の死によって遺産を相続した盲目の娘ミン(ムン・グニョン)が、16年前に行方不明になった兄を探していることを知る。こうして彼女の兄に成りすましたジュリアンは、後輩ホストのテホ(チン・グ)とともに、ミンの暮らす豪邸に乗り込む…。
カルト的な人気がある原作の日本版「愛なんていらねえよ、夏」
大好きで大好きでたまらないドラマですが、カルト的な人気があると言われることは、すなわち視聴率が低かった。視聴率が低い=一般視聴者には受け入れられなかった、というドラマでありました。
ストーリーは簡単である(先が読めてしまう)、ウソ臭い設定、アメリカのドラマと比較すれば平坦な出来事ばかり綴られている、役者のオーバーアクション・・・色々あるでしょうけれども、本当に視聴率が低かった。
そのために、「愛なんていらねえよ、夏」はDVD化されてはいるけれども、ほとんどのレンタル屋では取り扱っていない、DVDですら入手困難になりつつある、そんなドラマです。
一部のカルト的ファン(私を含めて)を除いては、今の日本ドラマから忘れ去られているドラマです。
韓国では、しかし、根強い人気があるのよね。
映画「愛なんていらない」、そして今放送中の「その冬、風が吹く」とリメイクされています。
そして、面白いなぁ~と思ったのは、どうやら日本における韓国ドラマファンの方で、「愛なんていらねえよ、夏」を視聴されていた方は、「愛いら」は面白かった、ハマった・・・と述べられているのよね。
「愛なんていらねえよ、夏」はそういう意味では、韓ドラにハマっている方々を満足させるストーリー展開でもある訳です。
生き別れた兄妹、不治の病、交通事故、財閥の家などという、韓ドラコード満載のドラマだった。
それでいながら、どこか温度が低い押さえた演出が、スパイスのように効いて、私たちを虜にしたドラマだった。
抑制された演出だからこそ、登場人物の感情が爆発した瞬間が私たちの胸を撃つんです。そこが日本ドラマの特徴とする表現方法。
向田邦子のドラマのように「秘すれば花」が美徳である日本で、それすらもかなぐり捨てるような、そんな感情の・・・愛であれ、憎しみであれ、爆発の瞬間が私たちの感情を揺さぶるのだと思っています。
そこの微妙なニュアンスが、韓国版リメイクの2作品は活かされていない。
映画版「愛なんていらない」は、まるで「愛なんていらねえよ、夏」のダイジェスト版のような映画です。ドラマの素敵なシーンだけを無理にツギハギして作りだす。
映像の色彩は意図的に計算しているみたいですが、一面緑の茶畑に佇む洋館、赤い傘、春のお祭り・・・いかんせん、シーンのツギハギだけなので、登場人物の心の動きが全く伝わってこない。
だからこの映画、酷評されるのよね。大コケしたらしいですし。
10話あるストーリーを映画にするという無謀さ。
役者のファンか、「愛なんていらねえよ、夏」を視聴した人にしかわからない作りになってました。
「愛なんていらねえよ、夏」にあった素晴らしく私を感動させた点が、すべて抜け落ちて、残骸のような、抜け殻のようなそんな映画でした。
たったひとつ、面白かったのは、ラストの解釈。
ここだけが見ごたえがありました。
■ ブロマンス
原作の奈留(藤原竜也)の存在意味をすっかりそぎ落としてしまっている、映画版は、ストーリーの緊張感すらそぎ落としました。
奈留の、憧れと、愛と、憎しみと、渇望の感情をそぎ落としたら、とたんにつまらなくなっちゃう。
詐欺師と盲目の少女の愛の物語・・・と思われがちですが、その根底には実はレイジに焦がれて焦がれて、気が狂ってしまう奈留の愛の物語でもあったわけですから。
「愛なんていらない」ではミッキーが奈留の立ち位置だったけれども。
立ち位置だけ奈留で、ジュリアンに対する感情が全く原作と違うように描写されているので、この映画での存在意味がなかったよ~ ただのチンピラにしか見えなかった。
■ ラストの解釈
ミッキーの存在が変わってしまったので、ジュリアンを刺す人間も変化してしまっている。
それによってジュリアンが血の海でのたうちまわる哀しさもそぎ落とされてしまって、全然私の胸を打たない。
ラストシーンはわからない・・・という意見を散見するのですが、これは夢(あるいは死後の世界)だと思っています。
刺されて死んでしまったジュリアンと出逢う夢・・・だと。
「愛なんていらねえよ、夏」ではハッピーエンドのように見えますが、実はこのドラマハッピーエンドなのかと疑問に思っています。夢なのではないかと。
だから映画「愛なんていらない」のラストは、私には非常に納得のいくものでした。この映画の制作者もドラマのラストを「夢」だと解釈していたのね、と。
なぜなら、次のようなジュリアンのモノローグが流れます。
これからする話をウソだと思ってもいい
今までの・・・無数のウソが一つ増えるだけだから
君に会えたのが運命だとしたら
俺のいるところに会いに来てくれる?
待っている
君が来る日まで
永遠に来ないとしても・・・待っている
その後、ほんの一瞬のワンカット、ミンのカットが差し込まれます。
まるで、死んでいるような・・・
◆原作の「愛なんていらねえよ、夏」の考察はコチラ。
◆「その冬、風が吹く」の考察はコチラ。
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なっつかしい~(絶叫)
「愛いら」が韓国で映画になると聞いて、飛びついて観たのを思いだしました^^
ドラマを映画にするには無理があると分かっていても、観てしまうのは、その無理をどう見せてくれるのか、という期待からでしょう。
つぎはぎ感は仕方ないとして(えええ)
奈留が奈留じゃないことに落胆したのをよーく覚えています(笑)←どんだけ奈留好きなんだ(^^ゞ
yucaさんのご文章で「そうか~これは奈留の愛の話でもあったのか」と一人納得し、ほくそ笑んでおります。
よかったね。奈留ちゃん。
・・「秘すれば語らず」・・日本人って素敵ですね^^
映画ラストの不満も「夢」という解釈でナットクできたし^^
今日も素敵な記事をありがとうございます。
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♪パレアナ姉さん、コメントありがとう~♪
いつもいつもマイナーな記事にコメント下さって、感謝(笑)
>奈留が奈留じゃないことに落胆したのをよーく覚えています
そうそう、あれはないですよね~
いくら映画にするからって、奈留の存在をはしょり過ぎちゃいけませんよね。がっくり。
「その冬、風が吹く」でも、なんだかはしょられていそうな雰囲気がして、どきどきしています。
亜子とレイジだけではなく、奈留の愛のトライアングルですよね。
奈留が亜子にちょっかい出したのは、敬愛するレイジさんが気にしている女の子だから・・・ですよね。
だからキスをしてみたりした。
亜子と奈留の複雑な不思議な関係にも、どきどきして視聴していました。
韓国ではそこらへんの微妙なニュアンスが、ごっそり抜けおちているの
で、もったいない><
映画を視聴して「愛なんていらねえよ、夏」も面白くないのよね・・・
なんて思われないことを祈るばかり。
本当に原作は面白かったですものね!