この世の果てまでも探しに行く・・・鳳凰の飛翔53話まで



中国ドラマ「鳳凰の飛翔」53話まで視聴。

 

 

ちょ、ちょっと、51話の怒涛の展開はどうなのよ。
動悸、息切れ、めまいがして倒れてしまいそう。
このドラマ、まったりな展開の後に、これでもかという激流の展開を持ってくるから視聴していて気が抜けない。
私の定義では、雨の中、傘を差しだすというのは強烈な愛情表現であり、かつ傘を差しだした方が相手をより深く愛している。
愛のバランスが傘で描写されるのだ。
共に持っていた傘から鳳知微は手を放す。
独り雨の中にとり残される寧弈の背中。愛を失ってしまった背中。
やっと両想いになったかと思った2人なのに。
落ち着け私。振り返ります。

 

 




寧弈の鳳知微の大好きさ具合はダダ漏れで、彼だけがその恋心を認めることを怯えている状態だったのですが。
疫病から回復し、自分の横にいる鳳知微を見る殿下のまなざしの愛おしそうなこと。
大好きな人が同じ空間にいると、自然と視線はその人を追ってしまう。
目が合うと恥ずかしくってね。
初々しい殿下。

 

「話がある。鳳知微、君と出会って随分経つ。
出逢ったころは三兄上と母上の汚名をそそぎ、閔海常家を平定しようとただ夢中だった。
だが今回疫病になり、生死の境をさまよう中で気がついた。今になって・・・ ようやく・・・
何だ?」
「別に。もう大丈夫そうね。疫病も負けるほどのへそ曲がりだわ」
「聞いてくれ!君が好きだ」
「え?」
「生死の境でそう悟った。好きなのにずっと怖くて言えなかった」
「私もよ」

復讐を果たすことや、無辜の民の幸せばかりを願っていた寧昇が初めて、自分の幸せを望んだのに。

 

 


はあ。
へそ曲がりな私が、登場人物たちの幸せを願うことはあまりないのですが、寧弈と鳳知微だけは幸せになってほしい。
だって何も持っていない2人だから。

 

 


ここにきてラスボス感が出てきた寧齊。

 

 



鳳知微を追いかけていくために、あっさりと閔海常家を平定する寧弈。
え?あっさり過ぎるじゃないですか。このドラマ、こういう権力闘争の描写が物足りないのよね。

少年のようにはにかみ、陰謀に倦んだまなざしをし、臆面もなく理想の治世を語り、猛々しく闘い、静かに涙する。
こんな男、見たことがない。
寧弈。
彼の様々に変わる表情が本当に好きで。
鳳知微のためにはすべてを擲って、走り出す寧弈が好きでね。
胸が痛くなる。
誰かをそんなにも好きでいられるなんて、危うくて、そして誰よりも強い。
誰かをそんなにも守りたいだなんて、その気持ちはもろくて、そして崇高。
寧世征と寧弈の違いは、人を本気で愛し、その人のためにすべてを投げ捨てる覚悟があるかないか、かもしれない。

陳坤のドラマは、私初めてなのですが。
とにかくダイアローグが絶品。誰かと対峙するときに、この俳優さんの本領が発揮される。
寧世征と寧弈のこのシーンも、緊張感にあふれていて、そして悲しい。
「進むか、退くか、守るか」
寧弈の生き方がこの3語で表されている。
静かに頬を流れる涙。

運命に抗えない自分の無力さを痛感する。
大好きだった人が去っていくのに何もできない無力感に震えるしかない。

 

 


「教えてどうすれば。私は生きていける?」
「君に命ある限り・・・この世の果てまでも探しに行く。
必ず君を見つける。約束しよう」
「母上。誓うわ。
私鳳知微は寧弈には決して嫁がない。
誓いを破れば、私の魂は飛散して永久に転生しない」

 

果たせなかった夢、果たせなかった約束がこの世界には無数にあることを知っている。
運命は時として非常に皮肉なんだということを知っているから。
寧弈のこの約束に私は胸が引き裂かれる。悲しくて。
鳳知微のこの誓いは呪いのようで。
鳳知微の誓いを聞きながら静かに目を伏せる寧弈。
彼の震える指先に、私の体も引き裂かれそうになる。

 

 


またしても怒涛の展開。
これは、こんな三角関係は、悲劇への序章でしょう。

 

 


様々な人物の思惑がすれ違い、離れていく。人は誰しもが絶対的に独りなんだと思ってしまう。
寧弈の目指す帝位とは永遠の孤独という代償を要求される。

 

 

その時々の、私の心の琴線に触れたモノ・・・ 小説や、映画、音楽、ドラマ、ファッションについてだけの簡単な備忘録。 Everything was beautiful and nothing hurt.

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