愛の傷・・・東宮36話まで


大陸ドラマ「東宮」36話まで。

 

 

奴と知り合って30年
30年もあれば普通なら故郷に錦を飾っている
私でさえまるまる太った孫ができた
だが奴は30年もの間
ある場所を探し続けている
西の果てに伝説がある
忘情の地に忘川という川があり
そこへ飛び込めば現世の苦悩を忘れるという
もしや人間に対する天罰は
忘却ではなく
永遠に忘れぬことなのか

 

 

あっという間に36話まで視聴。やっぱり匪我思存は侮れない。じわじわと迫りくる悲劇の予感と、次第に心通わす曲小楓と李承鄞を見ていると、私はもうすでに泣けてくるよ。
振り返ると1話冒頭は、「東宮」のドラマのラストシーンなのよね。もう、だめ、泣けてくる。
「忘却は神々の恩寵だ」といったのはどこぞの哲学者だったか。
本当に私たちは、忘れるから生きていくことができるのに。
1話冒頭では30年、たったひとりでさまよい続けている、ボロボロの姿の李承鄞が映し出される。
永遠に忘れられない罰を背負った李承鄞は、ロプノールな忘川を探し続けるのか、たったひとりで。
私の偏愛している「鳳凰の飛翔」というドラマのラストシーンにも通じるものがあって、ラストを予感し泣けて泣けて仕方がない。

 

 

 


15話の血の婚礼から記憶をなくした2人が再び出会い、愛のない政略結婚をするまでが36話。(ざっくりまとめすぎ?)
皇太子になるために権力闘争に身を投じた李承鄞だけれども、ここらへんの描写は甘い。
政敵である第2皇子、第3、第4皇子は自滅していっただけじゃないかい? ちょっと闘争の描写が大雑把すぎだなと感じますが、「東宮」は基本ロマンス史劇だから仕方がない。
ここで一番重要な描写は、記憶をなくしている曲小楓と李承鄞の戸惑いやすれ違いを、じれったさを堪能しながら視聴するということなのだから。
愛し合った記憶は忘れたはずなのに、互いを見ると胸が痛くなる2人。
例え記憶を失っていても、心臓に、体の細胞ひとつひとつに刻み込められた相手への狂おしいまでの渇望。
愛の傷が体に刻み込まれている。
体が引き寄せれていく2人を。
見つめあうまなざしの中に、忘れてしまったはずの愛を探る2人。
丹蚩ではあんなに笑顔と愛と幸せに満ち溢れていた2人の、儀礼的な結婚式との対比に心を痛める。

 

 


天真爛漫な小楓に心を揺さぶられているのだろうな、李承鄞。
小楓はあまりにも東宮で生きていくには無垢で、無防備で、眩しくって、生きていくすべを知らなくって、だから守ってあげたくなるのだろうな。
自分が小楓のことを大切に思っているということを、東宮において、誰一人悟らせてはならない。
それが小楓にであろうとも。
小楓を大切に思えば思うほど、李承鄞は彼女に冷たく無慈悲に応対する。
彼女のことなど、何一つ心にかけていないかを見せつけるかのように。
それでいてそのまなざしは、小楓の一挙手一投足を注意深く見守る。
彼女を傷つけていいのは、自分だけだと考える、そんな屈折した男。

 

 

 


李承鄞ってね、血にまみれた東宮を体現しているような男なんです。
光輝いていて、奇麗でノーブルで、陰険で陰湿で。血にまみれた手で平気で花がほころぶような笑顔で小楓を抱こうとする。そんな相反する二面性を持った男で、そんな複雑怪奇な男に私はくらくらする。夢中になる。好きすぎる。
瑟瑟(李承鄞の側室)に愛を語りながら、寵愛しているように見せながら、瑟瑟のことはそれほど守りたいと思っていないその無慈悲さと残酷さに私はくらくらする。
李承鄞の中では、守りたい人はただ一人小楓なのだから。
愛している女は、ただ一人なのだから。

 

 


えっとずっと前にこの記事を書いておりましたが、ブログにアップするのを忘れていました・・・

昨晩「東宮」55話視聴完了。なんだか、ちょっと「東宮」ロスになっています。
「東宮」の感想を早急にアップしなければ。
胸が苦しい・・・

その時々の、私の心の琴線に触れたモノ・・・ 小説や、映画、音楽、ドラマ、ファッションについてだけの簡単な備忘録。 Everything was beautiful and nothing hurt.

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