夢幻泡影

僕らがもともと描こうとしていた結末は、ソルランがスパイとして新羅に行き、そこで危機に陥るのですが、それを聞いた聖(ソン)王が彼女に突撃して終わる、というものでした。実はこれ、記録にも登場するんです。新羅と百済の同盟が破られ、2国間で戦争が起こります。当初は百済が優勢だったのに、突然聖王がたった50人の精鋭部隊を引き連れて敵陣に突撃し、戦死してしまうんです。これって普通に考えると、ちょっと変だと思いませんか? そこで僕とファン作家は、聖王が愛する女性を助けるために無理をしたんだ、と考えたんです。悲しくも偉大な愛を描いて終わりたかったのですが、かなわなかったことが一番の心残りです。
(イ・サンヨプ監督インタビューより 「もっと知りたい韓国TVドラマ」 vol.66)

 

お前が私の心を捕らえた女人であるとしても、死を逃れることはできないだろう。
行け。行って、死ぬ覚悟で志を果たせ。
お前を愛し恋い焦がれ鼓動する私の心は、いずれこの血と骨が百済の地に振り撒かれ永劫の永劫の時を経た後にやっと安らかになるはずだ。
(wiki 初期設定のミョンノンの独白より)

 

「帝王の娘スベクヒャン」は視聴率低迷のために打ち切られたドラマである。
そのためにおそらくドラマ最大のクライマックスを、視聴者は見ることができなかったのだ。
なんとも残念な気持ちにいつもなってしまう。
ミョンノンは高潔な太子のように思われているかもしれないけれども、彼の深淵はもっと暗い。
思い返せばソルランが諜報組織の一員になるための最終試験で、ミョンノン太子はまるで愛をささやくかのようにソルランにスパイの殺害を命じる。
彼の残酷で、冷酷な一面を見せるエピソードだった。
彼はソルランが死地に赴くことさえ、たやすく命じるのだ。
自分が見つけ、育ててきた、自分だけのものだから、ソルランは。
彼もまた百済のためなら、王を喜ばすためなら、誰かを切り捨てることすら恐れない。
手を汚すことを恐れない。
そんなミョンノンが、人に執着しない彼が、初めてソルランに執着する。
優しさと残酷さの両面を持つ太子が最後に何を選ぶのか、そのエピソードがまるっと短縮されてしまったのだ。

 

 

短縮された108話バージョンでも十分に魅力的なドラマではあるが、語られなかったエピソードは私を捉えて離さない。
名前を失った者たちのドラマである「帝王の娘スベクヒャン」だが、何よりも国を愛した者たちの物語だったのだ。
国のためには、名前も、愛も、喜びも、悲しみも、憎しみをも捧げていく者たちの物語なのだ。

 

 

主題歌の ♪ 井邑詞 ♪ は切々、恋々としたメロディで胸にぐっと迫るものがある。
歌詞をみると「待つ」物語なのよね。
大事な人が危地に向かい無事に帰ってくるのを「待つ」物語。

 

 

おそらく「スベクヒャン」の最後も、売国妃ソルヒが新羅と手を結び、ミョンノンがソルランを死地に向かわせる。
そして彼女の無事を「待つ」
しかし待ちきれずに・・・、という展開で終わる予定だったのだろう。
国のためにたったひとつの自分の愛を捧げようとしたミョンノンが、愛を取り戻すために走っていく。
そう、偽王女スベクヒャンとしてソルランが捕らえられた、あの晩のように。
理想や理念を、信念を捨て、走りださずにはいられない。
体が勝手に動き出してしまう。

 

そんなミョンノンの愛のカタチが見たかったと、夢想する。

 

 

 

2015年6月17日 ブログ開設5周年記念としてリトルプレス「NOT LOVE, but affection」を制作・配布いたしました。
今年はブログ開設10年目。アーカイブとして当時のリトルプレスの原稿をアップしていきます。
***
「帝王の娘スベクヒャン」は、拙宅nothing hurtで今でもアクセス数1、2位を争う人気記事です。
いいドラマだったもんね!

 

 


NOT LOVE, but affection 12-13P

 

その時々の、私の心の琴線に触れたモノ・・・ 小説や、映画、音楽、ドラマ、ファッションについてだけの簡単な備忘録。 Everything was beautiful and nothing hurt.

関連記事

  • コメント ( 0 )

  • トラックバックは利用できません。

  1. この記事へのコメントはありません。