Les Enfants Terribles 恐るべき子供たち

チ・チャンウク、ユ・スンホ、チェ・ミンスとくれば見ないわけにはいかないでしょう。
今までさんざん皆様にススメられてきたのになぜ見なかったのでしょうか。

 

ドンスとウンは光と影の設定であることはさんざん語られてきています。
こういうドラマでは、光を演じるほうが分が悪いのはいつの世も同じ。
「ガラスの仮面」でマヤと亜弓も光と影の対決を演じましたが、確か亜弓の影が観客に好評を博したように覚えています。
しかし月影先生もおっしゃっていたように光が輝くからこそ影が引き立つという訳で、「ペク・ドンス」においてもチャンウク君の奮闘は感じます。
8話を観終わったところなのでドンスがこの後にどう変化をしていくのか分かりませんが、武人とは一刀の重みが分かっていないといけないと思うのです。
剣仙はそれを知っている。
斬られた者の人生を引き受けていく覚悟がある。
ドンスはまだ一刀が軽い。
どこか自分の腕試しとしか考えていないから、存在も軽い。
視聴者はそれをドンスの明るさと捉えるかもしれないけれども、ドラマの主軸としては存在が軽いのよね。
ウンは一刀の重みを知っている。
彼は刺客なので斬られた者の業を引き受ける訳です。
ウンの師匠である天は業を引き受けすぎて、存在自体が悪霊のような面持ち。
こういう役をやらすとチェ・ミンスssiいいよね。
天は語ります。「痛みだ。相手の痛みを胸に抱いた者こそ刺客なのだ」と。

 

 

存在が軽いドンスと、すでに親殺しという業を抱えたウンとではドラマにおける重みが違う訳です。
ドンスが武人としての覚悟をいつするのか。
誰と対峙するのか。
それがこのドラマの山場。
ドンスが何を選び、何を諦めるのか。
ウンにはおそらくドンスを選ぶのか自分の業を選ぶのかの選択肢がこの先待ち受けているのは想像できます。
ドンスとウンはLes Enfants Terribles。
燃え盛る炎の中で拘束具から自分を解き放ったドンスと、降りしきる雨の中「殺星」という運命に絡み取られてしまったウン。
物語のプロローグからして炎と雨と対照的ですよね。
ということは彼らの選択もきっと対照的なのでしょうね。

 

 

個人的な好みとしてはこの頃のチャンウク君ってまだあか抜けていない感じが。
でもその演技のところどころに「ヒーラー」のボンス君の面影を感じて悶えています。
あるいは「奇皇后」のタファンの空回りぶりを彷彿とする。
早くドンスが己の覚悟に向き合って欲しい。

 

 

2015年6月17日 ブログ開設5周年記念としてリトルプレス「NOT LOVE, but affection」を制作・配布いたしました。
今年はブログ開設10年目。アーカイブとして当時のリトルプレスの原稿をアップしていきます。

 


NOT LOVE, but affection 10-11P

その時々の、私の心の琴線に触れたモノ・・・ 小説や、映画、音楽、ドラマ、ファッションについてだけの簡単な備忘録。 Everything was beautiful and nothing hurt.

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