新步步惊心 – Time To Love –
新步步惊心 – Time To Love - (2015年 中国)
■監督:宋迪
■原作: 桐華
■キャスト:
アイビー・チェン(若曦)
トニー・ヤン(四爺)
ショーン・ドウ(十四爺)
【あらすじ】
清の康熙帝が中国を支配する時代、若曦(じゃくぎ)が眠りから目を覚ます。しかし彼女の心には現代からタイムスリップした張小文が入り込んでいた。
現代と清の時代の人の考え方や習慣の違いに悩むが、徐々に宮廷生活になじんでいく。そして皇子たちと接するうち、若曦に対し恋愛感情を持ち始めた第四皇子と第十四皇子の間で、若曦の心は揺らぎはじめる。
朝廷では年老いてきた康熙帝の跡継ぎ問題が起こり、皇子たちによる皇位争い――いわゆる“九王奪嫡”が勃発する。若曦をも否応なく権力闘争に巻き込まれる。
それはそれは「歩歩驚心」を私は愛しています。
このドラマは愛をうたっているようで、実は時の流れについて描かれていました。
隆盛を誇っていた皇子、不遇をかこっていた皇子、野望を持った皇子、彼らもさまざまに変化をしていく。
どんなに愛憎が入り乱れようとも、「時」は全ての人物の上に平等に流れていき、愛も憎しみも恨みも、はるか遠い記憶のかなたに押しやられて行っちゃうのね。
その時の流れが、切ない。
時間が流れていくからこそ、相思相愛でともに苦難を乗り越えてきたはずの四爺とルオシーの愛がすれ違ってしまった時の衝撃。
男と女の関係は尽きせぬ興味の源。
恋に落ちる瞬間を見るのもいいが、愛し合ったふたりが、時を過ごすうちに、すれ違い、心変わりをしていく、その変遷のドラマが私の心を惹きつけてやまなかったりする。
まるで静かな水面に一滴の水滴が落ちることで、ゆるやかにさざ波が立つように、夕焼けの色が褪せてくるように、人の心の変わっていくさまは、なんて切なくて、苦しくて、狂おしくて、哀しくて、不思議なんだろうか。
こんなに愛し合っているのに。男と女は寂しい動物なので、常に魂の伴侶を求めながら、愛とプライドを両天秤に掛けて、苦しまずにはいられないみたい。
愛し合っているのに、ふとしたすれ違いが、ふと漏らした冷たい言葉の一つが、相手の心に与える衝撃は、世界の崩壊に匹敵する。
などと私はドラマの感想を書いています。
四爺とルオシーの愛の世界が崩壊しても十四爺がルオシーの心に入り込むスキはなかった。
たとえルオシーの最後を看取ったとしても、彼女の心は十四爺のもとにはなかった。
四爺もルオシーも十四爺も愛があるのにすれ違ってしまう、そのことがたまらなくもどかしくビターで、単なる甘ったるいラブロマンスではないところがこの物語を好きな訳なのです。
そんな3人のアンハッピーなロマンスに十四爺が不憫だと思われた方が多かったのか。
四爺、十四爺、ルオシーのラブトライアングルだけに焦点を当てた映画「新步步惊心 – Time To Love -」が作られました。
はっきりと書きましょう。なんじゃこりゃ、と。
「歩歩驚心」を愛している人にとっては噴飯ものでしょう。
設定は同じです。タイムスリップした魂、皇子たちと知り合い、権力闘争の駒にされていくという。
そもそもこの物語を2時間の映画で全て見せきろうとすること自体が無理なのか。
権力闘争ですらベタ甘なロマンスのネタのひとつになってしまっています。
十四爺はむしろドラマの十三爺のようなキャラクターになっています。自由を愛し、束縛を嫌い、風のように生きていく皇子。
そしてこの映画では四爺がむしろ8べえのようでね。
皇位も欲しい、ルオシーも欲しい、全てが欲しいといった感じ。
でも映画の四爺も違う意味で好きです。
権力も愛する女も手に入れたいのに、どちらかを手放さないといけないと悩む皇子は。
そしてこの世界の出来事に心を痛めるルオシーというヒロイン像ではなく、あ、私ってばこの人にもあの人にも愛されちゃって、むふふ。
みたいなルオシーにがっかりです。彼女はこの世界を少しでも良くしようとか、そういう思いはない。
ただ恋愛に憧れている女の子としてしか最後まで描かれていないの。
ドラマのルオシーは宮廷女官から洗濯女まで落ちていき、「一歩ずつ歩いていくがその 先は分からない」という恐怖と戦っていたのに。
映画版ルオシーはなんとも呑気です。
そもそも回転木馬に乗ってクルクル回っていると、愛する人に出会えるという他力本願な恋愛観の持ち主ですからね。
映像も、衣装も、素敵なことはステキ。
清朝というよりは、西洋のエッセンスも入った衣装。レースにフリルに花冠。
宮中での宴会にはヴァイオリンでヴィヴァルディの「四季」が演奏され、回転木馬が廻っている。
東洋と西洋の融合という、美しいファンタジーの世界です。
それを楽しむだけでも一見の価値はあるかな。
ラスト、ルオシーがどちらを選ぶのか。
書かずにおいておきますが、リインカーネーションした皇子がアイスクリーム屋だなんて、なんとも最後まで興ざめの物語です。
やっぱり物語が骨太なので、比較すると残念感ばかりが先に立つ映画版でした。
そしてお次は韓国ドラマでも「歩歩驚心」が放映されますよね。
願わくばベタアマなロマンスではなく、原作者桐華が描いた愛のほろ苦さをあますことなく描いて欲しいです。
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