愛は流砂のように・・・東宮 15話まで


大陸ドラマ「東宮」15話まで視聴。

 

ある種のたちの悪い愛のカタチというのもこの世には存在していて、相手がどこまで自分のために傷ついてくれるのかを試す、愛のカタチ。
相手が傷つけば傷つくほど、それでいて自分のもとを去らなければ去らないだけ、自分のことを愛しているのだ、と錯覚してしまう愛のカタチ。
だからだんだん、いたぶり方もエスカレートしていく。
傷つけて満足するということはなく、もっともっと、とその仄暗い欲望はエスカレートしていく。
相手が傷ついて泣き叫ぶ、その表情から自分への愛を見出そうとする、ゆがんだ愛のカタチ。
中国の作家、匪我思存の物語はこの手の愛のカタチのお話が多くて、そういうお話が中国で人気があるというのが不思議です。
どちらかというとアンダーグラウンドな愛のカタチなのに、メジャーだなんてね。
確か地元ではサドマゾロマンスとも呼ばれていた。
中国で「恋愛四天王」と呼ばれる匪我思存の作品「東宮」が視聴できる日がくるなんて、6年前には思ってもいなかった。
匪我思存の作品が視聴したくてしたくて、ものすごく調べていたなぁ、あのころ。
結局、私が当時視聴できたのは「楽俊凱」と「千山暮雪」だけだったのに。
気づけば「寂寞空庭春欲晚」(邦題は「皇帝の恋」)だって、「東宮」だって日本で視聴できるなんて、本当に感慨深い。
願えば叶うものなのね。

 

 

その昔、中原の豊朝(れいちょう)、西域の西州(せいしゅう)、移動を続ける民の国・丹蚩(たんし)、老王の治める朔博(さくはく)という四つの国は勢力を競いながらも、互いに政略結婚を重ね戦乱の危機から免れていた。
そんな中、西州王の姫・曲小楓(きょくしょうふう)にも豊朝の皇子との縁談が持ち上がる。だが、美しく奔放な小楓は「知らない人に嫁ぐのはイヤ」だと拒み続けていた。
その頃、豊朝では皇太子・李承稷(りしょうしょく)が父である皇帝の怒りをかっていた。李承稷は、皇太子を廃せられた上、和親の使節として西州へ向かうよう命ぜられる。
皇太子を慕う第五皇子の李承鄞(りしょうぎん)も同行を申し出て一行が西州を目指した矢先、一行は何者かに襲われてしまい、李承稷が殺されてしまう。
そして、重傷を負い砂漠を彷徨う李承鄞の前に、美しい西州の女人が現れる…。

 

視聴できるだけで嬉しくって、あっという間に15話まで。
悲劇の種がまかれていく様が描かれる。きっと振り返ってこのころを思い出すときに、あの時、小楓の手を離さなかったらとか、あの時に間に合っていればなどと思い悔やむのだろう。

 

 

一匹のきつねが砂丘にぽつりと座っている
砂丘でひなたぼっこをしている
でも本当は日なたぼっこではなくて
馬に乗ったお嬢さんを待っている
でもお月様を見たら
きつねは寂しくなって
羊飼いのお嬢さんに心を奪われてしまった
でもお日様に当たったら
きつねはうろたえて
馬に乗ったお嬢さんは
どこかに消えてしまった
きつねやきつね
羊飼いのお嬢さんはなかなか来ないね
きつねやきつね
馬に乗ったお嬢さんは
いつになっても来ないね
お嬢さん・・・

小楓が口ずさむこの子守唄。
「東宮」の物語を表している。きつね=李承鄞であることは、罠にかかったキツネの夢を小楓が夢に見たことから視聴者に暗示されている。
馬に乗ったお嬢さんが、小楓か。
序盤の小楓は天真爛漫、風のように奔り、お日様のように笑う。男の前でも恥じることなく素足を見せ、自身の感情を余すことなくさらけ出す。
李承鄞にとっては初めて見るタイプの女であり、まぶしい魂のカタチ、そのままに見えただろう。
大陸の息吹そのままの、そんな美しいヒロイン。
しかし無邪気すぎる罰を、充分にあの血の婚礼で受けることになる。

 

「人の想いは時には流砂のようにもがくほど抜け出せなくなる」と顧剣に語るが、その時点ではまさか自分がほとばしる愛と憎しみの連鎖にとらわれ、流されるなんて夢にも思わなかったに違いない。
無邪気でいることの罰として、彼女はすべてを失い、記憶を失い、豊朝へ。

 

 


「東宮」の何が素晴らしいかというと、そろいもそろってクズな男たちがヒーローだということ。
顧剣。
小楓のことを大切に自分の懐で育て、彼女がいなければ生きていけないと思うくらいに愛しているのに。
復讐のために、彼女の手を離した一瞬。
あの瞬間で、彼の愛は報われない運命をたどることになるのだろう。
どれだけ希い、かき口説いても小楓は還ってこない。
守るんだったら、守り続ければよかったのに。
彼の愛は、もう、届かない。愛が届かない小楓を見守り続けることは、彼にとってたまらなく苦痛で甘美なんだろうな。(なにしろサドマゾロマンスですから)

 

 

 


李承鄞。
生母の仇をとることを決意した彼は、権力闘争へと身を投じる。
丹蚩への征伐を冷静に計画をしながら、なんて無邪気なまなざしで小楓に愛を語るのだろうか。
皇子の魅力は冷酷な顔と熱情にあふれた顔が瞬間瞬間、交互に現れるところ。
彼は、その無邪気な愛が「血の婚礼」の後も続くものだと信じて疑わない。
その瞬間、瞬間、いつも本心なのが怖い。
誰かを殺すときも、誰かを守るときも、誰かを憎むときも、誰かを愛するときも、その瞬間が矛盾していようとも彼の中では本心なのだ。
羊飼いのお嬢さんと馬に乗ったお嬢さんを同時に愛そうとする、そんな混乱した男。
丹蚩を殺したその血にまみれた手で、小楓のことをこの世の宝のようにかき抱く、そんな矛盾した男。
無邪気に笑いながら、無邪気に裏切る、そんな質の悪さがたまらなく魅力的な男。

 

 

 


物語は起承転結の起の部分が終わり、ここからが「承」
記憶をなくした男と女がどんな物語を紡いでいくのか。
目が離せない。

その時々の、私の心の琴線に触れたモノ・・・ 小説や、映画、音楽、ドラマ、ファッションについてだけの簡単な備忘録。 Everything was beautiful and nothing hurt.

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