会うだけで涙が出そうな人・・・ここに来て抱きしめて9話まで


韓国ドラマ「ここに来て抱きしめて」9話まで視聴。

 

 

韓国人なら誰もが知っている残酷なサイコパス連続殺人鬼ユン・ヒジェ。その息子ユン・ナム(チェ・ドジン)は善良で賢明な性格の少年だった。ソウルからコウォン市へ引っ越してきた国民的女優の娘キル・ナグォン(ハン・ジェイ)と同級生だった二人は、初めての出会いから自然に惹かれあい恋に落ち、忘れられない日々を過ごしていた。しかし、ナムを偏愛していた父ヒジェは、自分からナムを奪おうとしたナグォンの家族が目障りだった。衝動性が強く、実行すると決めたことはやらないと気が済まない性格のため、ナグォンの両親を殺害し、その後ナグォンまで殺害しようとした時、ナムは自ら自分の父親を警察に通報し、刑務所へ送ることになる。一瞬にして、惹かれあっていた二人が、‘殺人者の息子’、‘被害者の娘’という境遇になってしまったのだ。月日が経ち、ナムはチェ・ドジンという名前で生活し警察官に、ナグォンはハン・ジェイという名前で母と同じ女優に成長する。トップ女優となったナグォンにある日、ストーカーテロ事件が起こる。新人賞を受賞した授賞式が終わった明け方、ドレス姿で運ばれた病院でナムと再会し、その後警察に警護を頼みやってきたナグォンとナムは2度目の再会を果たす。果たして、ナムとナグォンは何もかも忘れて幸せになる日が来るのだろうか。二人の若い男女がついにその境界を壊し、正々堂々と己の道を歩いて行く成長を綴った物語。

「ここに来て抱きしめて」は韓国放映時からずっと気になっていたドラマでしたが、いつかタイミングがあえば視聴してみたいなというぐらいの緩い気持ちでいたらあっという間に3年たっていたみたい(笑)

 

 

韓国ドラマでは悲劇的な恋愛の障壁を持ってきて、2人の愛の強さを確かめることで視聴者にカタルシスをもたらすのだけれども。
今まで私が視聴してきたドラマで一番大きな障壁は「加害者」と「被害者」の恋愛は成り立つのか、というもの。
その最高傑作は「秘密」だと思います。

 

主役4人の複雑に絡んだ愛憎、利害の心理戦・頭脳戦が圧巻。息を殺して視聴するので、1話があっという間。こんなに緊迫したドラマはなかなかない。
正統派のロマンスということでしたが、韓国ドラマの定石の設定を用いながらも、なんだか新しい視点を取り入れているような気がしました。
「嵐が丘」「緋文字」「太陽がいっぱい」と古典作品へのオマージュもあり、ドストエフスキーの「罪と罰」をも視聴しながら彷彿。
「復讐」がテーマの一つです。
従来の韓国ドラマならば人間の情念のおどろおどろしさばかりクローズアップするけれども、ちょっと違う視点でこの復讐の行きつく先を見せてくれました。

 

 

さて、「ここに来て抱きしめて」
‘殺人者の息子’、‘被害者の娘’との間に恋愛は成り立つのか・・・というよりは、ナムとナグォンはあの凄惨な殺人事件のサバイバーであり、深いPTSDに苦しめられている。
PTSDが再発するから、一緒にいられないというべきか。
しかし、例え事件の後遺症に苦しめられようとも、会わずにはいられない。会ったら泣いてしまうけれども。
そんなふたり。

 

 

 


主役2人の子供時代の情景が優しく、美しい。
桜の花は初恋の象徴。
あっけなく散ってしまうその情景は、ふたりの別離を暗示している。
韓国ドラマで冗長な子供時代の描写に辟易することが多いのだけれども、「ここに来て抱きしめて」は子供時代の回想が本当に素敵。
リリカルで、はかなくて、おずおずと心が触れ合うナムとナグォン。
そこに忍び寄るユン・ヒジェの不気味な影。
下手なスリラーよりも怖い。
まだまだクリスマスの殺戮の夜には、謎が隠されているよね。

 

 

 


ナムに見つけてもらうために女優になるナグォン。
会うと過去を思い出しつらいけれども、会わずにはいられない。
会うたびに謝るしかないナム。
何が視聴してしんどいのかと言うと、父の罪を一身に引き受けて、自分の幸福を自分自身に求めていない・認めていないナム。
幸せになることを頑なに拒んで。
ナムが満身創痍なのは、刺されることにためらいがないのは、自分が傷つくことでしか贖罪を果たせないと思い込んでいるから。
自分の流す血でしか贖罪が果たせないと思い込んでいるから。
両親を殺された女と、父が連続殺人犯の男ではどちらがよりつらいのだろうか。
ナムが決して自分の本心を吐露しないのは、明らかにアダルトチルドレンそのもの。
殺人鬼の父に溺愛されていたというある種の虐待経験が、彼を苦しめている。

 

 

 


兄のヒョンムも同じくアダルト・チルドレン。
ナムが自分の気持ちを閉じ込めるのとは逆に、他人に暴力をふるうことで言葉にできない愛情の飢えを叫んでいる。
愛されたくって、受け入れられたくって。
ヒョンムがナムにナイフを突き刺すシーンは、弟に自分を受け入れて欲しいという感情が転換した行動。
なんでも持っているナムが恨ましく、妬ましく、自分を受け入れて欲しいというねじれた感情の結露。

 

 

 


ユン・ヒジェが人を殺すのもねじ曲がった感情の発露。
受け入れてくれなかった人間を殺していく。
自分を受け入れてくれた人間には執着し。
独房の中にいても、周囲の人を恐怖と語らななかった真実で支配し、コントロールしていこうとする。
ヒジェの何がたちが悪いかって、恐怖におびえてヒジェの悪行から目をそらしてしまった人たちのその行為をもって、自分と同類だと囁いていくこと。
恐怖ですくんでいて、ヒジェの殺人を黙認してしまった弱さが、すなわち殺人に加担したことになると言って論理をすり替え周囲の人を自分と同類だと言い含めてしまうこと。
妻や息子たちを、自分と同類だとインプリンティングしていること。

 

 

その時々の、私の心の琴線に触れたモノ・・・ 小説や、映画、音楽、ドラマ、ファッションについてだけの簡単な備忘録。 Everything was beautiful and nothing hurt.

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