ミスター・サンシャイン

ミスター・サンシャイン Mr.Sunshine 全24話 (2018年 韓国tvN)

 

■脚本:キム・ウンスク
■演出:イ・ウンボク
■キャスト:
チェ・ユジン(イ・ビョンホン)
コ・エシン(キム・テリ)
ク・ドンメ(ユ・ヨンソク)
キム・ヒソン(ピョン・ヨハン)
工藤陽花(キム・ミンジョン)

 

あらすじ
「朝鮮で生まれたのは事実だが、僕の祖国はアメリカだ。朝鮮は一度も僕を受け入れたことがない」と語るユジン・チョイ(イ・ビョンホン)。
奴婢であるユジンの両親は、大監によって残酷に殺された。ユジンの母は、息子を逃げさせるために大監の嫁を人質として捕らえ、幼いユジンはその隙を狙ってやっと逃げ出したのだ。ユジンは追奴(チュノ)に追われるに身になり、逃亡して陶器職人の家に隠れた。そこでユジンは、職人に自身をかばって欲しいと哀願した。
彼はユジンのことをかわいそうに思い、陶器を買いに来たアメリカ人に「この子を連れていけ。アメリカかどこだか、あなたの故郷に」と押し付けた。ユジンは新しい地、アメリカで新しい人生を始めることになった。ヒロインのコ・エシン(キム・テリ)の両親は義兵として活動していた。エシンの母は、夫が危機に置かれたことを知り、同僚に幼いエシンを預け、銃を撃ちながら抵抗するも、死亡した。父もイ・ワンイク(キム・ウィソン)の手によって殺された。
祖母の家に送られた幼いエシンは、名家のお嬢さんとして育つ。両親の血を受け継いだためか、エシンは朝鮮の未来を憂い、大きな関心を見せた。
激変する朝鮮、両親を失って力動的な運命を迎えたユジンとエシン。

 

 

ネタバレが嫌な方は回れ右、振り返るな。

 

 

3か月間、本当に「ミスター・サンシャイン」を楽しませていただいた。
何よりもこのドラマで、私は脚本家キム・ウンスクの転換の瞬間に出会えたことが嬉しい。
「パリの恋人」から始まり、「シークレット・ガーデン」で脚本家としての絶頂期を迎え、「紳士の品格」「相続者たち」では方向を見失ったように感じていた。
「太陽の末裔」(ストーリー展開は私は評価しないが視聴率獲得は大成功だった)、「トッケビ」が第2の絶頂期。
「トッケビ」の感想に関してはこのブログには書かなかったが、あのドラマを私はハッピーエンディングだと認識していない。
ビターで、永遠の愛を求めながらも永遠の愛なんて不可能という突き放したラストにしびれたのですが。
愛は限りがあるから、愛なんだと。
あのドラマは冷静に永遠の命と愛は両立しないことを描いていましたよね。
しかしまだ、キム・ウンスクはサッドエンディングを描くことを恐れているような気がしていた。
そして今、「ミスター・サンシャイン」では、サッドエンディングに正面から向き合って描き切った。
まだまだ、新化・深化するキム・ウンスクにすっかり脱帽。

 

名もない義兵たちの人生を描き切る。
彼らの名前や記憶は歴史の波に飲み込まれて、彼らの血や涙は半島の地に流れ染み入って。
どんなに愛憎が入り乱れようとも、「時」は全ての人物の上に平等に流れていき、愛も憎しみも恨みも、はるか遠い記憶のかなたに押しやられる。
その時の流れが、切ない。
半島はいまだに、互いを失ったままで。
朝鮮統一への悲願を感じるドラマでしたね。

 

抗日運動ということで、非道・非常なサイコパスのような日本軍の描写にはプロパカンダの匂いがして、正直鼻白む。
しかし、ぎりぎり許容範囲か。
というのも、キム・ウンスクが描きたかったのは反日感情でも抗日運動でもなく。
(と書くと、かの国の人は怒るかもしれないが)
新しい朝鮮の姿だったと、私は思っているから。

 

 

新しい朝鮮の女たち


「ミスター・サンシャイン」の瑕疵のひとつとして、ロマンスを描いていないということが挙げられる。
コ・エシンとチェ・ユジンの別離に胸が苦しくならなかった。
なぜならこのカップルはお互いを見ているようで、でもひとりで生きていける力がある人間だった。独りで生きていく道を選んだカップルだったから。
あの人がいないと生きていけない・・・恋愛ドラマでの定番を実は真っ向から否定している。
キム・ウンスクの作品は、今までは御曹司と一緒になることが人生のハッピーエンドだった。
あるいは秀麗な大尉と共に歩いていける人生がハッピーエンドだった。
しかし「ミスター・サンシャイン」において、しかもあの時代においてエシンはそんな生き方を選ばない。
自分で義兵という職業を選択し、自分で結婚をしないという人生を選択する。
ユジンとの結婚は、あくまで東京へ行くという手段。
そのエシンの姿に、私はめまいがするくらい心が震えて、ひれ伏したくなる。
まさに職業の選択の自由、結婚の選択の自由は、古い家の束縛、因習からの脱却であり、新しい女性の姿であるから。
女性の自立が、「ミスター・サンシャイン」の裏テーマ。キム・ウンスクの書きたかったことだから。

 

 

ユジンが(男たちが)エシンにどうしようもなく魅了されるのは、彼女が自分を受け入れてくれなかったかつての朝鮮の象徴であり、そしてこれからの時代を切り開く新しい挑戦(朝鮮)の象徴でもあるから。
名家の血と新しい時代を切り開こうとする情熱が入り混じって、エシンという人間を創り上げている。
誰だって彼女に恋してしまうだろう。
あまりにも無謀で、無垢で、純粋で、恐れを知らず、明日を信じているから。

6話までの感想で書いておりましたが、まさに新しい朝鮮の息吹を、私は「ミスター・サンシャイン」で感じる。
だからこそキム・ウンスクに脱帽するのだ。
サッド・エンディングと男に依存しない女の生きざまを見せてくれたから。

 

 


工藤陽花もまた、新しい女の生きざまを見せてくれた。
私の中ではエシンも好きだけれども、コケティッシュな陽花が好きでね。
エシンと違い無垢でも純真でもないけれども、自分が失ってしまったものを知っているし、朝鮮の明日のために命を懸ける愚かしさをも知りながら、命をかける熱情を秘めている女。
厳しさと優しさとが入り混じった陽花のシーンは、どれも目が離せない。
彼女の洗練されたファッションも毎回楽しませていただきました。
華やかで、艶やかで、艶やか。
滅びゆく朝鮮の地に咲いた美しいあだ花。

 

 


陽花という呪縛を、ク・ドンメが「ヤンファ」という本名で呼んだ瞬間に解いた。
陽花は本当の自分を取り戻すことができたのね。
朝鮮の女としてク・ドンメの背中で息を引き取ったのは、彼女にとって至高の瞬間だったでしょう。

 

 


赤い靴は・・・涙なしにはいられない。
赤い靴を履いて異国に連れていかれた少女はやっと自分の大好きな国に戻ってこれたのだから。

 

 


怒涛の展開の終盤に、何が私の心に残っているかというと主役たちの生きざまはもちろんのことだか、何よりも名のない女たちの覚悟。
女たちの生きざまを見せてくれた。
新しい朝鮮の女たちの姿を。
愛に殉じるのではなく、自分の信じるものに殉じる女たちの姿を描き切ったことが「ミスター・サンシャイン」を稀有なドラマにしている要因ではないだろうか。

 

 

愛に殉じる男たち


そしてそんな女たちを愛した男たち。
愛に殉じた男たちの姿も、私の心にゆっくりとしみ込んでいく。
彼らが流した涙が、絶望が、悲哀が、それでも笑って逝った男たちの顔が脳裏に焼き付いて離れない。
「ミスター・サンシャイン」は最初から色濃く死の気配が漂うドラマだったが、24話のたたみかけるような、息もつかせぬ展開にしばし茫然としてしまった。
迫りくる時代の流れにあっけなく殺されてしまった男たちの生きてきた道を思い返すと呆然としてしまう。
幸せだったのか?
幸せだったのか?
・・・幸せだったのだろう。
どんな苦境にも、顔色変えず洒脱に笑って逝った男たちの命の輝きを、私は忘れない。

 

ユジン・チョイの愛は、体を射抜く弾丸のようで。
ク・ドンメの愛は、魂を切り裂く日本刀のよう。
キム・ヒソンの愛は、いずれ来る逃れられない運命へと時を刻む針の音。

男たちの最後を予言したかのようなことをブログに書いていた。まさにこの3行に彼らの生きざまは凝縮される。

 

 

いずれ来る逃れられない運命へと時を刻む針の音


キム・ヒソンの死に方があまりにも壮絶で、犬死のように思えてね。
結局、彼は古い因習にとらわれた朝鮮(時計に象徴されている)から逃れることはできなかった。
無辜の民の血と涙、悲しみや恨みをその足で踏みにじることで続いてきた両班の呪いを一身に引き受ける。
どうして。
彼の最期の、あの美しいもの、綺麗なものを思い浮かべて・・・月や星や花束を思い浮かべて、そっと微笑むあの笑みが、まるで凶器のように私を貫く。
美しいものだけを、楽しいことだけを追い求めていたヒソンが、時代の暗部から目をそらさずに記録し続けることで、エシンへの愛を見事に体現していたよね。
ドンメやユジンのようなわかりやすい愛の形ではなかったかもしれないが、迫りくる日本の非道をつぶさに記事で書き続けるヒソンのダンディズム。

 

 

魂を切り裂く日本刀のよう


ク・ドンメの逝き方はあまりにも苛烈で、無駄死にのように思えてね。
エシンが毎月15日に返済するコインが彼の唯一の幸せだったなんて。
陽花が「愛に溺れた男」と評していたけれども、まさに溺れることだけが彼の生きている意味だった。
部下も庇護していた女も石田翔の人生もすべて捨て去り。
ドンメに関しては後半何度も死のフラグが立ち、それを何度もかいくぐり満身創痍の姿で最後エシンのために、朝鮮の崩壊を1日でも遅らせるために刃を振り続ける。
どうして。
彼の最後の、自分が放った言葉がエシンの義兵としての人生を決定づけたと知った時の満足そうな、自分の生きてきた意味を知った微笑みが、まるで狂気のように私を苦しめる。
複雑なように見えて、単純だったドンメの愛のカタチ。

 

 

体を射抜く弾丸のようで


ああ、チェ・ユジン。色々書いたけれどもこの役はイ・ビョンホンにしか演じられなかっただろうな。
クールな面差しの中に限りなく繊細で優しい情感を秘めていて。
何があっても決して取り乱さずに、人前で涙はみぜず毅然として。
硬軟双方に強く何でもできて胸のうちにひとつに抑え、行動力も抜群。
人の弱さ、愚かさ、醜さも知りながら、しかし決して人に失望しない誇り高い男。
窮地にはまった自分の姿をどこか他人ごとみたいに眺め、降りかかった厄災を面白がりさえする。
その快活さはしたたかさを包んでおり、行き当たりばったりに見える行動は、実は強靭な集中力の結果。
多くの悲惨と屈折を経てきた者の明るさ、哀しさを、彼から感じる。
組織の歯車であることを知りつつ、己の誇りや理念のためにはためらわずに組織を離れる勇気を持つ男のダンディズム。

 

「これは私の人生で、私のラブストーリーだ」
この言葉にユジンの生きざまが語られている。エシンと共に歩いていく未来ではなく、エシンが生きている未来を望む男。
「あなたは前に進み、私は後ろへ下がる。」このセリフが、こんなにも深い意味を持つなんて。
この2人、キスさえ交わしてないのに・・・

 

 



身を挺して日本軍の銃弾からエシンを守る。愛おしそうに微笑みながら。
ただエシンが自由に空を飛ぶ姿だけを夢見て。
新しい朝鮮を夢見て。
信念に生きる女と愛に殉じる男。
韓国ドラマのステレオタイプな物語展開を真っ向から否定して、アンチテーゼとして新しい愛のカタチを見せてくれた「ミスター・サンシャイン」
視聴し終わってもいまだに心が震えている。

 

So long Goodbye, Mr.Sunshine.
I hope we cross paths again.

 

 

★★★★★


感想+考察

 

その時々の、私の心の琴線に触れたモノ・・・ 小説や、映画、音楽、ドラマ、ファッションについてだけの簡単な備忘録。 Everything was beautiful and nothing hurt.

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  • コメント ( 2 )

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  1. hobbit

    yucaさんこんばんは

    ミスター・サンシャイン昨日見終わりなんとか今日感想書きましたが、
    いろいろ思い返しているとまとまりがつかないというか、書くの難し(>_<)

    >どんな苦境にも、顔色変えず洒脱に笑って逝った男たちの命の輝きを、私は忘れない。

    そうなんです  
    苛烈で凄惨だったにも関わらず、私も不思議と彼らの笑顔がうかんできます。

    笑顔といえば数回描かれた居酒屋のシーンや3人で桜を見上げていたシーンでの力の抜けた笑顔なども懐かしく思い出されます。
    ちょっとじゃれ合っていたりして。あれは名付けるならエシンを守る同志の会でしたね。
    見終わっても余韻が残るドラマです。

  2. yuca

    hobbitさま

    コメントありがとうございます!

    >いろいろ思い返しているとまとまりがつかないというか、書くの難し(>_<) 本当に。男子3人は、あまりにも複雑で、冷たくて、優しくて、あっけなく逝ってしまって、本当は1人1人について書いたらいいのですが、やっぱり複雑すぎて。 愛おしくて。 その愛おしさについて、書き切ってしまったら彼らのことを忘れてしまいそうで。 いまだに書けません。 こういう男性を描かせると、キム・ウンスクはうまい! >らエシンを守る同志の会でしたね。 うん。ロマンスのようでありながら、なんだか愛するお嬢さんを守る三銃士のようでもありました。