私たちは本当に終わりなのね・・・その冬、風が吹く13話まで

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韓国ドラマ「その冬、風が吹く」13話まで視聴。

 

 

相変わらず美しい俳優たち、美しい映像。方々で語られていますが、クローズアップを多用したこのドラマ、クローズアップのたびに、ソン・ヘギョやチョ・インソンの美しさにうっとりするのよね。
意図的に汚い背景を排除、人間の汚い心を排除した脚本。
どこまでも美しいドラマを描きたいのでしょう。
眠り姫はキスで目が覚める。寒かった冬が終わりを告げ、春の嵐が吹き荒れる13話。
脚本家のノ・ヒギョンの描きたかったのは、オ・ス(チョ・インソン)でも、オ・ヨン(ソン・ヘギョ)でもないのではないか、と思っている。彼らはビジュアル担当で、脚本家が最も描きたかった登場人物は他にいる。
続きは、「その冬、風が吹く」の13話までのストーリー、原作「愛なんていらねえよ、夏」のストーリに触れています。

原作「愛なんていらねえよ、夏」では脚本家の龍居由佳里が描きたかったことの一つに「男のダンディズム」があるのだろう。それを受けた渡部篤郎演じるレイジは、水際立ったダンディズムで、男の高潔さ、男の野心、純愛も、献身も全てみせてくれた。
一方、「その冬、風が吹く」で脚本家のノ・ヒギョンの描いていくのは何か。
「男のダンディズム」ではない気がする。
オ・スはもちろん、愛を知らない男から、献身する男へと振り幅を見せてくれるけれども、一方で水風船を当てられたり、顔じゅうクリームを塗りたくられたり、ヨンの残酷なわがままのために山の中をかけずり回ったり、と時には滑稽さを強調されて、決して「ダンディズム」に佇むことを許されていない。
ノ・ヒギョンは、最も興味があるのは「男のダンディズム」よりも「女のロマンチシズム」だからではないのか。

 

 
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決定的に原作と違う場面は、「ウエディングドレス」のシーン。
ヒロインは自分の死期が近いことを悟り、せめてウエディングドレスを見てもらいたい人のために着る。
原作では亜子はレイジのために、彼に選んでもらい彼のために着る。
そして、「その冬、風が吹く」ではヨンはワン・ヘジャ(ペ・ジョンオク)に選んでもらい、彼女のために着る。
この違いが、二つのドラマの大きな相違点かもしれない。
後半になるにつれて、ワン秘書の激情がクローズアップされてきている。
愛しているのか憎んでいるのか、愛おしいのか嫌いなのか、殺したいのか生かしたいのか。
登場人物の中で、誰よりも複雑な愛憎。
原作で坂口良子が演じたサキというこの役は、ある意味不可解な役でもあった。
亜子の父の愛人として亜子の面倒を見るようになった彼女は、いつしか愛人としては捨てられ、ただ広大な鷹園邸を仕切る人間として亜子と共に囚われたかごの中で、人生を過ごすしかなかった。
自分を必要とされたいために、亜子の失明を見過ごし、そして囚われたかごの中から出たいがために亜子の婚約者と亜子の殺害を企てる。
相反するわかりにくい感情に突き進む役である。

 

 

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ワン秘書も、相反する感情に翻弄されている役ではあるが、ヨンの殺害を企てていない。(13話までは、だが)
ヨンを意図的に失明させたのは、自分を必要とされたかったから。
そして、ヨンを美しく気高く育て上げることに、生きがいを感じる。ヨンの母への対抗心か、ヨンの母への憧憬なのか。
ワン秘書を見ていると、そこはかとなくビアンの気配を感じるのは、何故か。
ワン秘書を見ていると、その向こうに、ノ・ヒギョンが透けて見えてくる。
ノ・ヒギョンは、この複雑で、哀しい、自分が愛している誰からも愛されない、さびしい女を描きたかったのではないだろうか。
そう思うくらい、ワン秘書の造形はこのドラマで抜きんでていて、目を惹きつけられる。
なんたって、ペ・ジョンオクはノ・ヒギョンのペルソナであり、ミューズであるから。
ミューズに演じさせる役を原作と同じようにヒロインの殺害を企てる、そんな役にノ・ヒギョンはしたくなかったのだ。
その違いが、このウエディングドレスのシーンに現れている。
ヨンはワン秘書への感謝の気持ちで、ワン秘書の好きな素材で彼女が満足するようなウエディングドレスを着てワン秘書に見せてあげたかったのだから。
彼女のヨンに対する愛に応えてあげたかったのだ。
そしてこのシーンは、ノ・ヒギョンのペ・ジョンオクに対する愛を感じるんだよな。
ノ・ヒギョンの「女のロマンチシズム」です。

 

 
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13話ラストのキスシーン。
このシーンでは、全ての視聴者が「ロマンチックだわ」と思わないだろう。
オ・スはオ・ヨンを強制的なキスという手段、男の力でもって引きとめようとしているので。
「男のダンディズム」ではなく、かすかに暴力の気配が漂うシーンであり、ある種の敏感な女性は、このラストシーンに関しては、拒絶感が出るのではないか。
こういうシーンからも、ノ・ヒギョンの男性を見る目は、意外に厳しくって、容赦がないなぁ・・・と思ってしまう。
オ・スをどこまでもカッコイイ男としては描かない。
原作とは似て非なるドラマとなりつつある「その冬、風が吹く」
「私たちは終わりなのね」とつぶやくヨンとスがどうなるのか。
「愛なんていらねえよ、夏」ではあえて、汚い背景なども映像にしてきた。それはその背景にも物語を感じるから。その汚さが、重層的に積み重なり、ドラマの奥行きを出すから、らしい。(コメンタリーより引用)
しかし、「その冬、風が吹く」では、美しいものしか、映像にしない。
汚い背景も排除し、人間の汚い心(ヒロインへの殺意)も排除し、どこまでも美しい世界を描き続ける。
(だからこそ、スとヨンの愛は単調なのよね、と辛辣に思っちゃうけれども)
「愛なんていらねえよ、夏」とは違う軌道をえがき始めたこのドラマの行きつく先は、全く見えない。

 

 
◆原作の「愛なんていらねえよ、夏」の考察はコチラ。
◆映画「愛なんていらない」の考察はコチラ。

その時々の、私の心の琴線に触れたモノ・・・ 小説や、映画、音楽、ドラマ、ファッションについてだけの簡単な備忘録。 Everything was beautiful and nothing hurt.

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