その冬、風が吹く vs 愛なんていらねえよ、夏・・・part2

韓国ドラマ「その冬、風が吹く」と日本ドラマ「愛なんていらねえよ、夏」の比較覚書き。
このドラマは比較することにあまり意味がないと思うので、自己満足的な意味合いが強い記事。
差違なども書き留めたりして。ネタバレはないと思います。
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風鈴 vs ピンポン
ヒロインがもらった屋台の景品。
どちらも、ヒロインが兄に心を開いていく様子を描写している。
「その冬、風が吹く」は風鈴で文字通り、主人公たちの心の中に愛の突風が吹きすさんでいる状態を暗示している。風鈴が鳴れば鳴るほど、心が揺らいでいるのだ、愛に。
その風鈴の音色は、ヨンの心と同時に、スの心の中にも愛の嵐が吹きすさんでいるのを視聴者に示す。
一方、「愛なんていらねえよ、夏」のピンポンも、ヒロイン亜子の心の拠り所となる。
初めてお兄ちゃんからもらったピンポンは、どんな宝石よりも彼女にとっては大事。
そしてそのピンポンがある人の悪意によって、広大な庭に捨てられてしまう。盲目の彼女には決して見つけることができないピンポン玉。
ピンポンを見つけ出すことは、悪意に満ちた世界から、たった一つの真実を見出すように奇跡的なこと。
二つとも、目に見ることはできない、手に触れることはできない、奇跡的な美しいもの「愛」の暗喩でもあるんじゃないかしら。

 

 
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樹 vs ゴミ箱
ヒーローが赤ん坊の時に捨てられていた場所。
オ・スは凍てつくような冬の日、樹の下に捨てられていて。
レイジは「真冬の雪ん中のね、午前零時に捨てられたガキだからレイジ。冷凍直前のガキで、レイジ。まだヘソの緒がついているガキをね、捨てるような冷徹な人間から生まれたからレイジ」であるから。

 
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「その冬、風が吹く」ではなぜ、オ・スが樹の下なのか。
振り返ってみると、映画「愛なんていらない」のラストシーンによく似ている。
真冬の樹・・・という映画でのイメージを受け継いで、「その冬、風が吹く」は展開しているのかも。

 

 
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ギャンブラー vs ホスト
脚本家のノ・ヒギョンがどこかのインタビューで、ホストという職業が韓国ではドラマのヒーローの属性として受け入れられないので、ギャンブラーにした・・・云々と答えていた。
しかし、この属性の変更で、ドラマの面白さがかなり半減しちゃったと感じます。
嘘で塗り固めた愛を語るホストが、彼だけが真実を語る・・・といった、嘘と真実の逆転劇が醍醐味なのですから。
そして、オ・スはギャンブラーとしても、メンタルが非常に弱くて、優しくて。
あんなに表情がまるわかりのギャンブラーって、いないよね。もうちょっとポーカーフェイスの方が面白いのに。
「その冬、風が吹く」では、オ・スの心の中より、ヨンの心の動きの方が、不可解でわかりにくいような、展開の気がします。オ・スはあまりにも表情がセンシティブなので、視聴している私も、変に肩に力が入って、もうちょっと上手く立ち回りなさいよ・・・と応援(?)してしまう始末。
レイジの嘘に翻弄された「愛なんていらねえよ、夏」とは正反対です。
しかし、ノ・ヒギョンがスをギャンブラーにしたのも、意味があるのだろうな。
このギャンブラーという設定が、後半どう物語の展開に絡んでくるのだろうか。

 
◆原作の「愛なんていらねえよ、夏」の考察はコチラ。
◆映画「愛なんていらない」の考察はコチラ。

その時々の、私の心の琴線に触れたモノ・・・ 小説や、映画、音楽、ドラマ、ファッションについてだけの簡単な備忘録。 Everything was beautiful and nothing hurt.

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