Farewell to illusions of happiness・・・愛なんていらねえよ3

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「愛なんていらねえよ、夏」LAST3再視聴。
韓国ドラマ「その冬、風が吹く」がとうとう来週から放送開始なので、楽しみだわ~
なんだかソン・ヘギョちゃんが、ハイヒールを履いていたということで、視覚障害者がハイヒールを履くのか喧々諤々とかの国では論争が沸き起こったらしいのですが。
ノ・ヒギョン脚本家が「視覚障害者も同じ人間だということを見せたかった」とドラマの制作意図を語っていますが。
うむむむ~
何か、根本的にずれている気がします。視覚障害者の方だって人間だよ? かの国では人間とみなされていないのか?
このドラマの面白いところは、「目に見えない”愛”という存在を、どこまで信じられるかというテーマも含んでいる。(wikiより引用)」であるのに。虚飾にまみれた愛を語る男と、愛を信じない女が、目に見えない「愛」をどう掴むか・・・
人間とかそうでないとか論争が起こる時点で、ちょっとテーマからずれているところばかりクローズアップされている気がします。
因みに、「愛なんていらねえよ、夏」では広末ちゃんは、フラットシューズでしたがね。
予告を見る限りでは、日本版より、ゴージャスな邸宅が舞台でお金持ちっぽい(笑)
そして、結構ロマンス色が強い・・・ような気がします。
さて、8話。
私が一番好きな8話です。

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奈留と季理子が「愛とは何か」を考察するシーン。このドラマでの「愛」の定義なんだろうなぁ。

 

「ねえ季理ちゃん。愛って何?」
「…どしたの?」
「何?」
「……想うこと。想って想って思いつづけること。…悲しいけど想うしかできないこと」
「でもそれって片想いの場合でしょ」
「どんな愛も一緒。…どんなに愛しあってても、ちょっとずつ愛の分量が違うから悲しいの。…人間だからさ、ちょっとずつずれてて悲しいの」

 

季理子は達観しているよな。そう、愛は、少しずつずれてしまうのだ、このドラマでは。
だからこそ登場人物たちは苦しむ。
奈留だって。

 
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「俺みたいになろうなんて、思うな。…奈留は、奈留だよ」とレイジに抱きしめてもらっても、奈留は不安だ。愛がずれているから。でもね、レイジは最初から奈留には優しかった。奈留のことは否定しないし、受け止めている。認めている。
そういう風に自分の存在を受けてめてもらえるのも、愛の一つなのに、奈留は気づかない。

 
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登場人物たちの嘘が、晩餐の席で明らかになる8話。このシーンは圧巻。
愛が少しずつずれて、それがいつしか殺意になったり、横領になったり、全ての罪が出そろう。まさに最後の晩餐。
そして最後に残ったのは、亜子のレイジへの真実への思い。
それは「愛」

 
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「亜子、俺には、俺が見えないよ」とつぶやくレイジ。
「愛」が見えないレイジ。
何度見ても、8話はいい。文句なしにいい。
日本では評価されなかったドラマだけれども、「その冬、風が吹く」で評価されると嬉しいなぁ、と願う。
このドラマの本質が、より多くの人の心を感動させてくれたらいいなぁ、と願う。

その時々の、私の心の琴線に触れたモノ・・・ 小説や、映画、音楽、ドラマ、ファッションについてだけの簡単な備忘録。 Everything was beautiful and nothing hurt.

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