愛は選択だよ、感情じゃない・・・王は愛する9話まで

韓国ドラマ「王は愛する」(衛星劇場版)9話まで視聴。

 

愛は常に選択の連続なんだと思い出させる「王は愛する」
男2人と女1人の物語は古今東西から描かれてきて、魅力的なテーマのひとつ。
どちらかを選ばなければいけないということだから。
「太陽がいっぱい」「突然炎のごとく」「冒険者たち」「明日に向かって撃て」
ブロマンスな男たちと女という組み合わせは、どうしてこんなに私たちを魅了させるのでしょうね。
それは選ぶことで、何かを(誰かを)切り捨てなくてはいけないという摂理に身震いするほどの悲劇を予感させ、誰かを捨てることでしか自分の愛を表せない苦しみに身もだえするからかもしれない。
キム・イリョンの同名小説を「信義」「ヒーラー」のソン・ジナが脚色。
ソン・ジナの「砂時計」も男2人と女1人の物語だったことを思い出す。

 

 

あらすじは・・・

父親は高麗の王、母親は元皇帝の娘。その二人を両親に持つ高麗の王子ウォン(イム・シワン)は、美しい容姿、知性にあふれ、大胆な行動力で人々を引き付ける卓越した能力の持ち主だが、優れた姿の裏には征服欲を隠し持っていた。彼には一生を共にすると誓った友、リン(ホン・ジョンヒョン)がいる。民が息災に暮らせる国を夢見る同士であり、心を交わせる唯一の家族であり、死をも共にする覚悟がある友。ある日、二人は身分を隠して王宮の外へ出る。そこで美しい少女に出会い、不思議な感情を抱く。父親は高麗の王、母親は元皇帝の娘。その二人を両親に持つ高麗の王子ウォン(イム・シワン)は、美しい容姿、知性にあふれ、大胆な行動力で人々を引き付ける卓越した能力の持ち主だが、優れた姿の裏には征服欲を隠し持っていた。彼には一生を共にすると誓った友、リン(ホン・ジョンヒョン)がいる。民が息災に暮らせる国を夢見る同士であり、心を交わせる唯一の家族であり、死をも共にする覚悟がある友。ある日、二人は身分を隠して王宮の外へ出る。そこで美しい少女に出会い、不思議な感情を抱く。
少女の名前はサン(ユナ)。高麗一のお金持ちの一人娘。ウォンはサンの素直さに惹かれ、友情が芽生えるが、これがすべての悲劇の始まりだった…。
ウォンは次第にサンに恋心を抱くようになる。しかし、リンもサンに思いを寄せていることに気づき、激しく嫉妬する。サンの美しさが二人の男性の心を奪い、永遠に続くと信じていた二人の友情が崩れ始め…。

 

 

サンという女


男たちのブロマンスに割って入る女はたいていどっちつかず。
自分でもどちらの男を深く愛しているのかがわからない女。なぜなら男2人を同じくらいに愛しているから。男たち2人と一緒にいる状態が心地いいから。
どちらかなんて選べない、あえて選ばない。
サンはそもそも7年前の悲劇の瞬間から少しも変わっていない。その場の自分の思いつきで行動する女で、そのことがどういう悲劇を招くか考えられない女。
その瞬間の自分の気持ちが何よりも大切で、後先考えない女。
肯定的な見方をすれば、命の輝きが迸る女なのでしょうね。
こんな女に惚れてしまったら、男たちは大変です。
サンが欄干の上に上がりバランスをとって歩くシーンが、「王は愛する」を象徴するシーンだろうな。
どちらの腕の中に落ちるのかわからない、そんな危ういバランスがウォンとリンとサンの関係。

 

 

忠烈王という男


韓国ドラマ史劇の王たちは愚かな王が多いのは何故なのでしょうね。
強烈なコンプレックスの反動から、自分のそばにいる人たちを愛することができない。王妃や息子を愛することができない可哀想な王。
短絡的な快楽しか求めず、それでいて王としての威厳ばかり追い求める。
お飾りの王だという自覚があるからか。王といえども何もかも持っているわけではないということが理解できない男。
「王は愛する」の悲劇の芽はすべて忠烈王から。
王が誰かを愛することを知っていれば良かったのに。愛を知らない可哀想な王です。

 

 

元成公主という女


実はこのドラマの中で王妃が一番好きかもしれない(爆)
愛を知らない王を愛してしまい、不幸になっていく王妃を見ると胸が痛む。属国に嫁ぐという意識はなくただただ忠烈王を愛し嫁いだのでしょうに。
王が愛してくれないと知るとどうしていいかわからずに、祖国の栄光をかさに王をコントロールしようとする。
それがさらに嫌われ、憎まれるきっかけになるのに。
全てが自分の思い通りにいかず、息子に過度な溺愛を注ぐしかない。
それがさらに息子に疎まれてしまうのに。
愛を得られなかった女の行く末と狂乱を元成王妃から感じ、なんとも胸が痛いのです。

 

 

ブロマンス



ブロマンスとは精神的につながりの深い男性同士の友情なのですが。
「王は愛する」は様々なブロマンスが登場。もちろん主役のウォンとリンをはじめ、この下層界に生きる2人(名前がわからない・・・)、ワン・ジョンとソン・イン(ブロマンスというよりは利害関係ですが)、ウォンの護衛のチン・グァンとチャン・ギ。
信頼や打算、友情で絡まっている2人組たちだが、この物語の最後まで輝いているのは誰なのだろうかと興味津々。
意外にも下層界に生きるコンビが、互いに互いを頼るしか生きる術がない2人が最上のブロマンスを見せてくれるのではないかとこっそり期待している。

 

 

ソン・インという男


オ・ミンソクが「王を愛する」の中でのジョーカーになりますが。
どうも彼の佇まいが品があってね、ジョーカーとしての底知れぬ怖さを感じさせないのです。
愚鈍な王族に対する軽蔑を隠しつつ、彼は何をしようとしているのでしょうか。
ワン・ジョンを王にすることは彼の最終目的ではなく、高麗王族の純潔の血にも実は価値観を置いていない。
彼が望むものは皇位簒奪なのでしょうけれどもね。
なんとも品がよすぎて私には物足りない。その品の良さがかえって怖さにつながっていくにはもう少しドラマを見ないといけないのか?
そもそもバカボンのワン・ジョンと手を組むこと自体が、私の悪役好きの美意識に反します(爆)

 

 

ワン・リンという男


ホン・ジョンヒョン君、凛々しくなったなぁと感慨深いものがあります。
「ホワイトクリスマス」出身組のその後の華々しい活躍を見ると、あのドラマものすごいドラマだったのねと再視聴したくなりますよね。
さて、ワン・リン。
絶対的な忠誠と愛にこれから引き裂かれていくのでしょうね。
彼も常に問われるのです。世子か好きな女か、どちらを選ぶのかという。
世子の高潔さ、寛大さ、賢明さを知り、実はその奥底に潜む絶対的な孤独にワン・リンは共感する。
全てを持ちながら、誰からも受け入れてもらえない世子の孤独に彼はたまらなく惹かれたのです。
だからこそ共に寄り添っていこうと考えていた自分の人生はサンに出会うまでは単純明快だったでしょうね。
しかしサンに出会ってしまう。

 

 

ワン・ウォンという男


全てを持ちながら誰からも受け入れてもらえない、自分が一番欲しいものは手に入らない、そんな男が好きなのです。
高潔、聡明、茶目っ気もあり、しかいいざとなれば苛烈。
世子の見た目の優しさ、柔らかさに騙されちゃいけないと思う。
例えばサンを牢屋に引っ張っていた兵士を問答無用で殴りつける、その苛烈さにたまらなくしびれる。
きっと世子はこれから様々なものに試されるのでろう。
すでに一度試された。「友か想い人か」と。
そして8話最後でも彼は二者択一を迫られる「ダンかサンか」と。
常に決断をしていかなくてはならない彼に生きざまに、そっと涙する。
忠烈王と同じ選択をするウォンが不憫でね。愛する女よりも王としての生きざまを選択せざるを得ない生き方。
ダンを選ぶウォンを見ながらやっぱり苛烈な男だと。
彼のサンに告げる「お前が一番だ」という思いはきっと伝わらないのです。
ウォンが彼を殺す権利をサンに与えても犬に食べさせたように。ウォンの愛は理解されない。
サンは自分に寄り添ってくれる男の方が好きだから。サンにはウォンの絶対的な孤独を理解できないから。

 

愛は選択だよ。感情じゃない。誰もが心の動きだと思いたがるけど、そんなのおとぎ話だよ。それは愛じゃない

かのジャスティン・ビーバーの名言。この言葉を思い出す「王は愛する」です。
おそらくこの後三角関係はもつれにもつれ、視聴がしんどくなりそうな予感。
だって私は絶対的な孤独に押しつぶされそうな世子が好きだから。
ウォンの、リンの、サンの選択の行く末を見守っていけるのだろうか。

その時々の、私の心の琴線に触れたモノ・・・ 小説や、映画、音楽、ドラマ、ファッションについてだけの簡単な備忘録。 Everything was beautiful and nothing hurt.

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