来てしもうたがな・・・あさが来た48話まで

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「あさが来た」48話まで視聴。

 

 

3週間分の感想を書こうなんて朝ドラに関してはそもそも無理なのよねと思いつつ。こうやって3週間振り返ると目まぐるしかったですよね。
「来てしもうたがな」とふらりと炭鉱を訪れる新次郎さんにトキメキ、闇から帰ってきた惣兵衛の憑物が落ちたような面持ちにほっと一安心もつかの間。
三味線の師匠という恋敵をあっさりかわし、しかしふゆちゃんという新たなラスボスがこのドラマを怒涛の展開に導くのかというような48話まで。
そうそう、惣兵衛が家出をしてしまった闇が自分がいなければはつがこの苦しい生活を続ける理由がなくなるのではないか、なんてことも泣かせちゃいます。

 

 

 

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はつの笑顔が柔らかくてね、柔らかくてね。いい表情で笑いますよね。
夫婦で共に夢を見ることができるこのふたりは、もう大丈夫ではないかと思いますが。
まだまだ4カ月もあるのですから波乱もあるのかなぁ。

 

 

「あさが来た」を見ながら私は「風と共に去りぬ」という名作を思い出して仕方がない。
戦争という大きな嵐による古い南部文明の死とよみがえりの物語であった「風と共に去りぬ」。
一方「あさが来た」は維新という時代の大きな嵐に翻弄される江戸時代の人たちと新しい時代に向けてのよみがえりの物語とも言える。

 

 
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どんな困難にぶつかっても「明日は明日の陽が照るのだ」と言って乗り越えていくスカーレット・オハラはあさのよう。
時代の変遷によって彼女の受ける被害は計り知れないが、彼女は参りもしない。常に明るくしなやかで、剛情でありコケティッシュ。いつもあさには「新しい朝が来る」とナレーションでも言われているし。
スカーレット・オハラの座右の銘にも似ているよね。
「風と共に去りぬ」の中で一番しなやかで強く美しいヒロインはメラニーではないかと思っているのですが、はつもそうですよね。
すべてを自分の中で柔らかく受け止め、そして周囲をひそかに変えていく力を持つはつ。
メラニーがスカーレットと社会の間に耀き続けた剣であったように、はつもまたあさを守る剣であるのかもしれない。

 

 

 

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五代さんはあさを初めて見た時から、この燃えるような魂を持つ女性を愛し(愛だよね!)影のカタチに寄りそうように守り続ける。五代さんもまたあさを守る剣なのかもしれない。
レット・バトラーとアシュレ・ウィルクスは合わさり、五代さんと新次郎さんというキャラクターに別れているのかもしれないなぁ。
それまでの時代の制度を否定し新しい未来を夢見る革新性と、古き良き時代の美しさを知りつくしその粋を体現しようとする保守性。
このふたり、実は恐ろしいまでに物事の真髄を見抜く目を持っていてその根本は非常に似通っているのではないのかと思うのですが。
その表現方法が違うだけで。

 

 

 

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三味線のお師匠ならばよくて(え、よくない?)、ふゆちゃんならばなぜダメなのか。
かなりの視聴者がやきもきしていると思われるふゆちゃんの動向。
ふゆちゃんが「分をわきまえない」からダメなのか、「新次郎さんかわいそう」なんていっちゃうからダメなのか。
恋する乙女過ぎて、恋に猪突猛進しそうだからダメなのか。
三味線のお師匠はですね、自分の仕事に矜持を持っていらっしゃるところが潔くて恰好よかった。
新次郎さんのことは好きだけれども、自分という生き方を曲げてまでも彼を手に入れようとは思わない。
どこかあさと似ているのですよね。自分の生き方に誇りを持っている。
ところがふゆちゃんは若すぎて、あるいは思慮がなさすぎて、いかようにも相手の色に染まりそうな自我のありどころがダメなのかもしれません。
新次郎さんを理解しているのは私だけと思いこんでしまいそうなところが怖い。
ある意味韓ドラのマクチャンドラマに出てくるヒロインを陥れる二番手ヒロインのような怖さが、そのたたずまいにあるの。
いいですか、ふゆちゃんには新次郎さんは手に負えませんことよ。(キッパリ)
いつも笑っている新次郎さんの惣兵衛より深い闇なんかわかりっこないのです。
新次郎さんは複雑に屈折しているよね。惣兵衛はわかりやすい。
惣兵衛の基準はいつも誰がどう思うかなのです。母親がどう思うか、世間がどう思うか、そして今ははつがどう思うか。彼の生き方はいつも誰かに喜んでもらいたいからという、実はとっても素直な生き方なんです。だから作物を育てる仕事は、何かを育てる、子供を育てるという仕事は彼には適職なのかもしれません。

 

 

 

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新次郎さんはね、夜遊びも道楽もあさの反応を見たいから。
毎回想定外な妻の反応に落胆と歓喜という相反する複雑な感情を見せる彼なんです。
きっと新次郎さんはあさが普通の反応を返していたらとたんに興ざめしてしまう、そんな屈折した男なんです。
貨幣というものの恐ろしさを知りつつ、両替屋という家業によって自分は生かされていることも知っている。
あさを愛しつつも、愛に縛られない自分も知っている。
時代が変わっていくことを誰よりも見抜いているはずなのに、五代さんのように時代を切り開こうとあえてしない自分自身のことも知っている。
そんな複雑な男が、ふゆちゃんみたいな恋する乙女に囚われてしまうのが、どうにもダメなんです。

 

 

 

その時々の、私の心の琴線に触れたモノ・・・ 小説や、映画、音楽、ドラマ、ファッションについてだけの簡単な備忘録。 Everything was beautiful and nothing hurt.

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  • コメント ( 2 )

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  1. corowcorow

    初めまして、corowcorowです。記事を読ませていただいたところ、まったくもって同感だと思うところが多々ありましたので、コメントさせていただきました。

    >三味線のお師匠はですね、自分の仕事に矜持を持っていらっしゃるところが潔くて恰好よかった。

    新次郎を誘惑していたシーンで「ああやっぱり気があったのねえ…」と特に驚かなかったのですが、妾として来ないかと言われても、自分の生き方を曲げず、断るところが実に潔くて、大人の女だと思いました。新次郎が一瞬とはいえ、誘惑に負けそうになったのも、美和が妻のあさにどことなく似ているからかもしれませんね。

    >新次郎さんを理解しているのは私だけと思いこんでしまいそうなところが怖い。

    私もふゆの愛し方はそういった愛し方に思えてしまって、最近ではあまりふゆを好きになれないでいます。まあ若さゆえの愛し方といえばそれまでなんですけれどね。

    妾騒動があった後ですから、今後も新次郎に妾はない方向で話が進んでほしいというのが個人的な願いです。

    長々と失礼しました。

  2. yuca

    corowcorowさま、はじめまして♪

    こんなネットの最果てのブログにようこそお越しくださいました。コメントありがとうございます。嬉しい~

    さて、ふゆちゃん。
    史実でいえば広岡は浅子の女中を妾にしたらしいので、このままいけばそうなるかも。とやきもきしています。
    なんだかきな臭い方向に話が向かっていますよね。
    ふゆちゃんは決して悪い子ではないのですが、「はつの方がいい」とはつびいきな女の子ですよね。
    これが惣兵衛だったらきっと「はつより私の方が理解できている」なんて思うことはないような気がします。
    はつリスペクトな女の子なので、はつを差し置いてという発想はしないと思う。
    どこかであさのことを、主人なのだけれども軽んじているような、そんな気配がふゆちゃんから漂う。だからちょっと苦手なんですよね。

    あさと新次郎、五代さんのトライアングルにふゆちゃんが参戦するのか。
    気になって仕方がありませんよね。