どうして誰も私を好きになってくれないの・・・応答せよ1988 18話まで
韓国ドラマ「応答せよ1988」18話まで視聴。
完璧な切なさに咽び泣く。
「どうして誰も私を好きになってくれないの? 私は愛される資格がない女なんだわ」
「ドクソナ、蒸しサツマイモと焼き芋どっちが好きだ?」
「蒸したの」
「イ・ムンセとパク・ジョンナムなら?」
「イ・ムンセ」
「俺が好きか、テクが好きか?」
「テク」
「何だよムカつくな、俺は嫌いか?」
「うーん、でもテクの方がいいの」
「ならばジョンファンが好きか、ソヌが好きか?」
「・・・どうしてそんなこと聞くのよ」
「ドクソナ、自分はどうなんだ? 誰かに好かれているかじゃなく、お前が好きなのは誰、なんだよ。サツマイモの好みははっきりしているのに好きなタイプとかいないのか? ドクソナ・・・いやスヨナ、誰かに好かれているかって事じゃなくお前も誰かを好きになっていいんだ。そうだろう。・・・ああ、最近の奴らは方程式は知っていても人生を知らない」
(14話)
ドンニョンとドクソンの会話から。
ドンニョンはおバカでどちらかと言えばトリックスター的な立ち位置を「1988」では占めているのだけれども、時折人生の深遠な考察を述べる。
誰にも愛されないと嘆くドクソンに対するアドバイスもまさにそう。このドラマのテーマのひとつを表している。
誰に愛されるかではなく誰を愛するかというテーマ。
このドラマの完璧な切なさとは、自分の中にある初恋を押し殺してしまうということなの。
押し殺された初恋はずっと彼らの心の奥底で悲鳴をあげていて、どれだけ年数がたっても癒されることがない。
まるでいつまでたってもかさぶたができない傷のようにドクソン、ジョンファン、テク、ソヌ、ボラ、ジョンボンの心の中でじくじくとしているのだから。
愛情と友情のはざまに立たされて、自分が誰を愛しているかの想いにそっとふたをしているのだから。
自分の中にある愛に目をそむけて少年少女は大人になっていく。
運命は都合よく訪れるものではない。
運命的という表現を使うならばいくつかの偶然が重なる劇的な瞬間があるはずだ。
それでこそ運命だ。
そしてその運命の別名は、タイミング。
万が一今日信号に一度も引っかからなかったら。
あの忌々しい赤信号が一度でも助けてくれたのなら。
今頃運命のように彼女の前に立っていたかもしれない。
俺の初恋はいつもタイミングのイタズラに邪魔をされる。この忌々しいタイミングに。
だが運命は・・・タイミングはただ偶然に訪れるだけではない。
切実さに向けたその時々の選択が作り出す奇跡の瞬間だ。
思いきった放棄とためらいのない選択決定がタイミングを作り出す。
あいつの方がより切実で、俺はもっと勇気を出すべきだった。
悪いのは信号でもタイミングでもなく自分自身のためらいだ。人生はチョコレートの箱だ。開けるまで中身がわからない。
苦いチョコレートでも仕方がない。
それが自分の選んだ運命だ。
後悔することも、引きずることも、胸を痛めることもない。
(18話)
時が流れ少年少女は大人になり、初恋に再会する18話。
テーマはリチャード・マークスの ♪ I will be right here waiting for you ♪
まさに彼らがそっと秘めていた初恋のテーマ曲。この曲も日本放映時には差し替えられるのかなぁ。
Wherever you go,
Whatever you do
I will be right here waiting for you
Whatever it takes
or how my heart breaks
I will be right here waiting for you
自分の中で決着をつけていない初恋に再び対面しなくてはいけないのだから。
幼馴染たちがそれぞれの道を歩み出した4年間、全員が結局次の恋に巡り合うことができなかったことに心が痛くなる。
それだけ彼らの中ではあの初恋の傷は癒えていないということだから。
どんなに素敵な人と知り合いデートしようとも、心の片隅の自分が殺してしまった初恋の幻影に彼らは囚われているのだから。
そして初恋の幻影にジョンファンとテクは走っていく。わき目もふらずに。なりふり構わず。いてもたってもいられずに。
前回私は以下のように書いたりしました。
テクの切実さとジョンファンの切実さのどちらがドクソンの心に響くのか。
そんな危うい恋愛のバランスの上に立っているように思います。
どれだけドクソンのことを必要としているかを見せるか、ここにこの恋愛はかかっているのよ。
かっこ悪いとか、かっこいいとか、そんなことを抜きにしてどこまで切実に相手を求めるのか、そんな愛かなぁ。
「1998」の愛とは「愛を与えずにはいられない切実さ」であるならば、やはりジョンファンとテクは自分のなかにある切実さに向き合わないといけないのだから。
ドクソンに愛を与えずにはいられない切実さ。
ドクソンがいなければ息もできないという切実さ。
彼女の元に走って行かなければという切実さ。
「1998」で描かれる愛は囲碁の勝負のように展開される。
この一手が次の一手につながり、不用意な一手は負けにつながる。
ジョンファンはその一手ことを「切実さに向けたその時々の選択」と言っているけれども。
囲碁の名手テクがドクソンの元に走った時、彼は初めて試合を放棄したと劇中で述べられている。
しかし彼が試合を放棄したのは実はこれで二度目。
一度目はジョンファンとの友情のためにドクソンへの告白を諦めたあの土曜日の夜。
勝負師のテクに試合を放棄させるくらい、ジョンファンが結んでくれた靴のひもはテクの心を救ってくれたのでしょうね。
ドクソンを諦めるくらいにジョンファンとの友情が大切だったのです。
ドクソンがいなければ死んでしまうと言っていたテクが諦めるくらいに。
ジョンファンもまた友情のために初恋を諦めて。
登場人物たちはそれぞれ大事な誰かを傷つけることを恐れて、初恋を押し殺してしまうなんて、なんて完璧な切なさなのだろうか。
泣けてくる。
18話ラストのジョンファンの告白は涙なしに聞けない。走馬灯のようにそれまでの場面、場面が浮かび上がってきて。
なんて遠くまで彼らは来てしまったのだろうかと思いを馳せてしまう。
ジョンファンだってテクに負けないくらいに切実にドクソンを愛したかったのに。
タイミングは、運命は彼に傾きかけていたのに。
なぜ、どうして。
普段ぶっきらぼうな彼が、こっそりとドクソンを想い微笑んでいるシーンは涙なしには見られない。
「1988」では実はあのシーンの後ろにはこういう登場人物たちの想いがあったのよと不意打ちのようにいきなり視聴者に見せてくる。
ジョンファンがこんなにも笑っていたなんて。
笑っていたなんて。
ドクソンといるだけで幸せそうだなんて。
彼の不器用さに泣けてくる。
そしてもうジョンファンの切実な心からの告白はドクソンには届かない。
彼女はテクを待っているから。
テクが来るのを待っているから。
そのことに気づき静かに初恋に別れを告げるジョンファン。
指輪が残されたテーブルで18話は終わる。
夢のように美しいシーン。夢だったのか。
ジョンファンにも心が揺さぶられるけれども、やっぱりどこか幸せを諦めてしまったようなテクのことを考えると狂おしくなる。
願わくば彼のそばにドクソンがいてほしい。
テクが少しでも安らげるように。
人並みの幸せを享受できるように。
彼の人生が白と黒のモノトーンだけではなく、色彩に満ちた人生になりますように。
あとたった2話でこの双門洞の人々と別れなければいけないなんて。
別れはどうしてこんなに苦しいのだろうか。
それはね、「1988」を観ていると私たちはどれだけ沢山のことを忘れてしまったのだろうかと思いだしてしまうから。
幼いころ遊んでいたあの路地に。
なんて沢山の想いを私たちは置いてきてしまったのでしょうね。
こんにちは。yuca様
お久しぶりです。
「応答せよ1988」日本放送時の視聴でいいかなぁ~と思っていたのですが、yucaさんの「ぜひオリジナルを!」との呼びかけについ見てしまいました(笑)
そして・・・見てよかった!!
作中の曲、韓国のものはわかりませんが洋楽はまさに自分の青春時代のもの。
私、主人公たちと同じ年なんですよ~(笑)
知ってる曲が流れるとあの頃の空気感を思い出します。
夢中で見てしまって、もう18話。
あと2話でこの路地の住人とお別れかと思うと、、、思わず進めるのをやめて、また初めから再視聴。
18話のジョンファンの切なさに泣けて泣けて・・・
再視聴の今、ドクソンを見た時のジョンファンの嬉しそうな笑顔が胸に刺さります。
ジョンファン幸せになって欲しいなぁ~
でも、私もyucaさんと同じくテク派なので(笑)
テクの隣にはドクソンがいて欲しい。
あまりにもこのドラマに嵌ってしまって、他にも色々と書きたいことが多いのですが(笑)
最後まで視聴したらまたお邪魔させて貰います(*^_^*)
よんつきさま、コメントありがとうございます♪
でしょ、でしょ、「1988」はオリジナルバージョンで見るに限ります。日本で放映時にはきっと差し替えやら、モザイクやら、カットやらでひどい状態になっていると思いますもの。
最終話なんか2時間近くもあって、もはや映画です(爆)
オリジナルバージョンを見ることができた私たちは幸せです。
>私、主人公たちと同じ年なんですよ~(笑)
おおお、ほぼ私とよんつきさんは同世代ですよね!(爆)
私たちの1988はドラマのよりはもう少し近代化?していましたが。
なつかしく胸を狂おしくさせますよね。
>18話のジョンファンの切なさに泣けて泣けて・・・
おそらくあのシーンが「1988」のクライマックス。
もう彼らに会えないかと思うと、なんだか自分の幼いころの友達をあの路地に置いてきたような、そんな心もとない気持ちになりませんか?
そして20話のラストシーンでは、ドクソンと共に号泣。
まだね、上手く自分の中で完走がまとまらないのですが、近いうちに総括の感想を書きます。
こんにちは
はじめまして、ひそかに楽しく拝見させて貰っています
特に星から来たあなたの記事が最高でした
すいませんがコメントさせてください
私もオリジナルを見させて頂きました
でも、私はジョンファン派なので怒り心頭です(笑)
キャスト達もドクソンの夫がテクだと知らされた時に皆落ち込んだみたいですね
ジョンファンの告白のシーンの時にドクソンが泣いてしまって撮影出来ずで落ち着くまで待ったそうですね
スタッフも皆泣いていたそうです
キャスト達もジョンファン派だったのではないでしょうか(笑)
私は長かった割には荒い部分が多いのとジョンファンの件で残念な結果に思えました。
ところで、1994は見ていないのですか?
私的には3作品の中で1994が1番完成度が高かった思います
っていうか今まで見た現代劇の中で1番になったかも?しれません
もし、暇が有れば見てくださいねオススメです
どうも有難う御座いました。
応答せよシリーズは、早口でなまりがきついので、1988も日本語字幕になるまで待つ予定でした。
が、私のチイントが大きな悲劇に見舞われ、深く傷ついた心を癒すため、前倒しで鑑賞しました。
”不憫な男”好きの私は、1994はもちろんチルボン派でしたので、つらい思いをしたのですが…。
1988はもちろん、テク派(顔じゃないです)。
テクを思うと、不憫で心が痛かったです。
母性本能をくすぐるタイプです。
私の大好きな”恋愛じゃなくて結婚”でも流れた曲が数曲使われていて、うれしかったです。
総括期待して待ってます!
hiroさま、コメントありがとうございます♪
は、はじめまして。そしてあまりの遅レスに恥じ入りそうになります。
きっともうご覧になってないよなぁ・・・ごめんなさい。
>ジョンファンの告白のシーンの時にドクソンが泣いてしまって撮影出来ずで落ち着くまで待ったそうですね
ああ、わかるわぁ。あの時のドクソンのまなざし。
なんだか少女だった彼女が、恋の甘いも酸いも噛みしめた老齢の女のまなざしになっていましたもの。
あの告白を、あっさりスルーしてしまうなんて、ドクソン役の若いアイドルさんにはかなりきつかったでしょう。
視聴している私たちも号泣でしたものね。
韓国ドラマであそこまで切ない恋の告白は見たことがないような気がします。
確かに、冗長(1話が2時間もあるものね)だったのですが、親の子に対しる想いにうるうるしっぱなしでした、私。
>私的には3作品の中で1994が1番完成度が高かった思います
なるほどです。「1994」には苦い思い出がありまして。
レンタルしてきたら、物語はDVDの巻数を伸ばすためにぶつ切りされているし、音楽は差し替えられているしで、途中で挫折したのです。
あくまでも日本の商業ベースの編集が許されなかっただけで、物語のせいではないのよ。
あのトラウマもそろそろ薄れてきたので、オリジナルバージョンでチャレンジしたいものです。
りょうさん、コメントありがとうございます♪
>”不憫な男”好きの私は、1994はもちろんチルボン派でしたので、つらい思いをしたのですが…。
わかる、わかる! どうして不憫な男はこんなにも私たちの胸を揺さぶるのでしょうか。
テクはね、なんだかんだいってやっぱり不憫なのですよね。
不憫と言うか、選ばれたものの悲哀とでも言うのでしょうか。
家庭的な幸せや、全てをどこか諦めているような彼が、それでも諦めきれない唯一の恋心を不器用に抱いている彼が好きです。
ところで、大人になった主役ふたりはイメージがあまりにもかけ離れていて、なんだかなぁ、です。
yucaさん
お久しぶりです。
しかも今頃こんなところにコメント。
さらに「1998」の記事なのに「1994」のことですみません!
先月までキ〜〜っとなりながら、BSで「1994」を見てました。
ブチブチCMで切れるし、製作者の意図を無視した各話のエンディングシーン!
普通に会話してる途中でブツっと終わっちゃう。
アレ?終わりなの?って何度思ったか…
疑問を投げかけたり、ショックを受けたり、何かしら次回への期待を持たせるような終わり方をしているはずなのに…
レンタルで見直そうと思ったら、yucaさんの仰るとおり同じ35話だ〜〜!
で、半ば諦めかけてたら、スカパーで始まりました!
こちらは21話、yucaさん、これはオリジナルと同じ話数ですか⁇
にゃんころりんさま
ごぶさたしております。
「the K2」ですよね!ですよね!
もうすぐ放映ということで、やっとやっとドラマ視聴意欲が湧いております。