シンイ-信義-

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シンイ-信義- Faith 全24話 (2012年 韓国SBS)

 

■監督:キム・ジョンハク
■脚本:ソン・ジナ
■キャスト:
イ・ミンホ(チェ・ヨン)
キム・ヒソン(ユ・ウンス)
ユ・オソン(ギチョル)
イ・フィリップ(チャン・ビン)
リュ・ドクファン(恭愍(コンミン)王)
パク・セヨン(魯國(ノグク)公主)

【あらすじ】
西暦1351年、高麗時代。若き王、 恭愍王 コンミンワン(リュ・ドックァン)一行は、元からの帰国途中、刺客の襲撃に遭い、王妃が負傷してしまう。あらゆる病を治す天界の“神医(シンイ)”でなければ命は救えないという診断がくだされ、王の近衛隊隊長チェ・ヨン(イ・ミンホ)は神医を求めて天界へ繋がる “天門”に入り込む。だが、ヨンが辿り着いたのは、2012年のソウル。そこで、ひょんなことから出会った整形美容外科医のユ・ウンス(キム・ヒソン)を神医と勘違いしたヨンは、「必ず帰す」という約束のもと、彼女を連れて高麗へと戻る。ウンスは訳もわからぬまま王妃の治療をさせられ、あげく天門も塞がり、元の世界に戻れなくなってしまう。政界の権力を巡り、“神医”としてウンスを利用しようとする人々も現れ、たびたび危険にさらされるウンス。そんなウンスをヨンは命がけで守ろうとし、はじめはもとの世界に戻りたがっていたウンスも心が揺れていく…。


 

ものすごく楽しく視聴した「ヒーラー」の脚本家の前作ということで、今まで気にも留めなかった(←失礼ですよね)「シンイ-信義-」をよろよろと視聴完了しました。
観る前からラストが微妙・・・と散々聞いていたので、本当におっかなびっくりだったのですが。
気持ちいいくらいのハッピーエンドでどこらへんが微妙なのでしょうか?
序盤を快調に視聴していた「シンイ-信義-」が終盤になって視聴スピードが低調になってきたのは、同じことの繰り返しだから飽きてきたんですよね、私は。
各勢力がウンスをめぐっての争奪戦を繰り広げてきた、ただそれだけのお話です。
ある者は医者としての知識を尊び、ある者は未知への世界へのあこがれから、ある者はウンスがこの世界に与える影響力を自分の覇権に取り込もうとし、ある者はウンスの知識がこの世界を変えていくことを恐れ・・・
延々とウンスの争奪戦です。
ウンスはあっちへ行ったり、こっちへ行ったり。
それをチェ・ヨンがどこまで守れるか。
そんな物語でした。

 

 

ロマンスという物語はもちろん甘い部分は必要ですが、愛し合う2人を妨げる障害がどれだけ大きいかで2人の愛の強さを表現しようとする骨組みを持っています。
チェ・ヨンの愛の強さはウンスを守ろうとすることで表現しています。
生きる希望を見失っていた彼が、ウンスを見出し、彼女を守るうちに生きていくことを知る。
しかし、このチェ・ヨン、ストイックすぎて感情の振り幅が(私から見て)少ないのですよね~(爆)
演出か脚本か、あるいは役者さんの力量のせいかよくわかりませんが、何もかもに無関心、無感動だった男が一人の女性に囚われていくというのはドラマティックな展開なのに、いやにあっさりと自分の恋心を受け入れていました。

 

脚本家ソン・ジナはこのドラマで何が描きたかったのかなぁとも考えています。
たしか以前「恋愛ドラマのプロットは突き詰めていけば、自分の生きていく場所を見つけていく物語だと言えますけれどもね」と書きました。

 

チェ・ヨンが生きていく場所を見つけた物語でもあるのかしらね。

 

 

 

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一方ウンスにとっての障害とは?
毒に侵されたり、いろいろとあると思うのですがやっぱりここでは時間が最大の障害になるはずなのです。
むしろ毒のくだりでぐたぐたとしていたのは全然切なくないんだよね。
時代劇でありながらタイムリープというSF的要素があるから。
ロマンスにファンタジー要素を取り入れると難しいよね。
世の理を無視した展開でも許されるから。すべては魔法で解決したり、現代に戻れば病気は治るものねと視聴者は思ってしまう。
だからウンスが毒で苦しんでも、治療方法がなくても、戻れば治るでしょと思っちゃって切なくない。

 

やっぱりこのドラマの切なさは、時間なの。
「天は赤い河のほとり」の前半が切なかったのは今ここにいるユーリとカイルが実は時間という河の流れのこちら側と向こう側にいるから。
こんなの近くにいて抱き合えるのに、二人の間には時間がある。その遠さに、時間の深遠さに涙をするのです。
(「王家の紋章」はまた別の意味で切ない。 あの物語は延々とループしていく切なさです(爆))
それなのに一番の障害の時間を24話の後半、10分足らずで描いてしまったんだもの(爆)
なんだそれ?

 

 

 

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打ち切りになったのか、そもそもの脚本の組み立て方が悪かったのか、いったい何がこのドラマに起こったのか?
ウンスがヨンに会いに行くまでの100年間が実は一番切ないはずなのに~
そこはあっさり描写ですか?
ここら辺が視聴者が肩透かしになり、ラストの視聴感が「微妙」と口をそろえて言われる由縁なのでしょうか?
さんざん伏線で張ってあった100年前に戻ってしまったウンスの悲しみが伝わってきません。

 

 

 

 

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悪役もなんだかしょぼかった~
未知への世界へのあこがれで心が病んでしまったギチョルなんて私の好きそうなキャラクター設定なのに、なんだかコミカル枠のように思えて。
あのキャラ造形がコミカルに感じさせるのか、何なのか?
中途半端な感が否めず。
しかしいろいろな登場人物が思わせぶりなバックボーンを抱えていそうで、これは小説版「シンイ-信義-」を読めということなのでしょうか?

 

 

 

 

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恭愍王は好きでした。
優柔不断な王に見えるかもしれませんが、最善を模索していく統治者は実は優柔不断なのかもしれませんね。そして自分が下した決断の責任、不安、怯えは全部背負って生きていくのです。
恭愍王はヨンという民がいるからこそ王として振る舞えるのでしょうし、ヨンがいなくなった時の狼狽は大きい。
実はヨンって、恭愍王とウンスの間で揺れ動いた男でもあったのだと思います。
どちらも大切でどちらも捨てられない。
一方を選ぶと、必ずもう一方は危機に陥るという繰り返し(笑)
ヨンが何を選ぶのかという物語でもあったのかもね。

 

 

 

 

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「シンイ-信義-」では脚本家ソン・ジナはいろいろと心残りな部分があるのだろうなと思います。
タイムスリップというギミックを彼女が扱い切れなかったとでも言うのか。
その悔しさが「ヒーラー」では昇華されています。
この世の「悪」とは何か、生きるということは何か、大切なものを失うということはどういうことなのか、自分の命より守りたいものはあるのか、そういう「シンイ-信義-」では不完全燃焼だったテーマが次作「ヒーラー」では拾われていきましたよね。
もしかして「シンイ-信義-」は「ヒーラー」の補完として(あるいは「ヒーラー」が「シンイ-信義-」の補完として)視聴すると味わい深くなります。

 

 

★★★

その時々の、私の心の琴線に触れたモノ・・・ 小説や、映画、音楽、ドラマ、ファッションについてだけの簡単な備忘録。 Everything was beautiful and nothing hurt.

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  • コメント ( 2 )

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  1. biane・美安

    YUCCAさま

    爽快痛快でございますぅ(笑)。

    思っていたこと感じていたけれど上手く考えや言葉にまとめられなかった点を「そーそーそーそーそーっ!」と表現して下さったこと、「王家の紋章」まで出て来るのもツボでした(笑)。

    私も原作者の本の方を読んでいるところなのですが、2巻以降が一向に出されず、ご本人のブログでは なんとなく締切に対して逆切れ気味な・・・。
    でもプロでしょ?って突っ込みたいです。期限までに仕事してナンボ?がアマとプロの差だと思うので。

    でもいいです。
    YUCCAさんのブログを拝見して何となく胸のつかえが落ちた感じがしましたので。ありがとうございます♡

    「ヒーラー」と「ミセン」は舞台が終わったら見るために、ただいまお預け我慢中です。
    YUCCAさんのおすすめで見ていないものもこれから楽しみにしています。

  2. yuca

    bianeさま、コメントありがとうございます♪

    >爽快痛快でございますぅ(笑)。
    えええ、嬉しい! ちょっと辛口なので「シンイ」ファンに怒られるかも・・・と思いつつ書きましたから(笑)

    >私も原作者の本の方を読んでいるところなのですが、2巻以降が一向に出されず
    そもそもドラマですべて語っていませんものね。
    あの人もこの人もなんだか意味ありげだし、あの人は未来から来た人?なんて伏線張りまくりで、それっきりの肩透かし。
    きちんと本でフォローしなくちゃいけないのにね(爆)
    やっぱりプロだもんね!

    しかし「シンイ」は場外で、出演料未払いやら、監督さんの自殺やらいろいろあってそういう意味でも、なんだか複雑な作品です。
    「ミセン」は本当にいいですよ~!
    泣けるし元気が出ます。
    「ヒーラー」は少し乙女チックなのですが「シンイ」より面白いと思います。