まさかオラの口からこんなベタベタなセリフが出るどは・・・あまちゃん124回
「まさかオラの口からこんなベタベタなセリフが出るどは」とはアキちゃんのセリフですが、こっちだって驚きましたよ、まさかこんなべたべたな展開になるとは・・・
どうしたのよ、アキちゃん。
と、思っていたのですが、夏ばっぱの倒れたことと関連するのかも。
「あまちゃん」を視聴する私たちは、もうすぐ「あの日」がやってくることを知っています。
「神の視点」でこのドラマを俯瞰する。だからこそ、どんなに笑っていたって、どんなにふがいなく思っていても、ドラマの奥底にどこか、死の気配を感じている訳です。
だから、一生懸命アキちゃんを応援したり、(ミズタクを応援したり・笑)、笑ったり、泣いたり、そして「あの日」に思いを馳せて胸を痛くしたりする。
そして、アキちゃんはまだこの先に「あの日」があることをもちろん知らない。
だから、初めて、夏ばっぱが倒れたことで、この世界にも死の気配があることに気付くのだ。
122回の「生きてるかぎり、大事じゃねえ時期なんてねえし」というセリフにつながるのだ。
今、触れあえるのなら先輩と触れあいたい。
そう、急に思っても不思議じゃないんだ。
例えアイドルとして成功するかどうかの瀬戸際だって、誰かと熱く抱き合いたいのかもしれない。
「死」の気配を感じて、人はより一層誰かと繋がっていたいと思うし、寂しくなるのだから。
太巻の強迫観念は若春子であると昨日考察してみたが、なんという三角関係。
鈴鹿と太巻の間には、実はずっと若春子の幻影がいたのかもしれない。
だからこそ二人は「結婚」というカタチには踏み込めなかったのかも。
若春子を「まっとうなやり方」でデビューさせてやれなかった太巻は、奇抜なやり方でしかアイドルをプロデュースできないプロデューサーになってしまったのかも。
若春子の呪いに見えるけれども、実は若春子の形をした太巻のとうの昔にどこかに置き忘れてしまった「ハートフル」なのかもしれない。
太巻の押し隠した良心が若春子の形をとって、彼の前にあらわれたのかな。
夏ばっぱと同じ景色を見ようとする春子。
振り返って考えると、夏ばっぱはいつも玄関を見ながら座っていた。
決して背を向けずに。
「来るもの拒まず」のその姿勢で、孤独と慣れ合いながら、常に世の中を見つめていたのね。
たった一人で。
夏ばっぱが「ありがとう」を言ったことがないのは、一人きりの時間が長すぎて、喋り方を忘れてしまったから。
なんて気高く、孤高で、寂しくて、あったかい人なんだろうか、夏ばっぱ。
■ 身もだえポイント ■
太巻の春子への秘めた贖罪の思いに気付いて驚くミズタク。
嬉しくって気が大きくなり、お鮨を食べて笑顔100%のミズタク。
思えば、北三陸の時は、本当に無感動、無関心男だったのに。
「ごめんなさい。僕、年上じゃないとダメなんです」なんて、スカしたことを言って美寿々さんをメロメロにして車まで貢がせた(笑)男が、今やアキちゃんのことで驚いたり笑ったり、怒ったりするのね。
明日は・・・いや、今日だわ、修羅場?
124回はもっとがっつり考えたかったのですが、何しろ眠くって~
睡魔と闘いながらいいことを書こうとするのは、ムズカシイ(笑)
この記事へのコメントはありません。