ホーリーランド

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ホーリーランド holy lamd 全4話 (2012年 韓国Super Action)

■演出:パク・ギヒョン
■キャスト:
ドンホ(カンユ)
ソンウン(サンホ)
フン(テシク)
チュ・ダヨン(サンミ)
【あらすじ】
小柄で小心者で、内向的な少年カンユ(ドンホ)。
家からも社会からも疎外されたカンユが唯一存在することができる空間は、都心の夜の街だけである。
自分を忘れるため、また自分を見つけるため、カンユはいつからか古本屋で見つけたボクシングの教本を読み、1日に5000回ずつワンツーストレートの練習をするようになる。
そして、いつの間にか、青春真っ盛りの若者たちが集う夜の街で避けることのできないケンカに遭遇するようになる。
数多くの戦いを経た末に “不良ハンター”と呼ばれるようになったカンユ。
様々な格闘技を得意とする相手と対戦する中、彼らの技術を体得しながらカンユは本当の自分を見つけていく・・・。

 


 
4話という視聴しやすい長さだし、主役の少年はアイドルということで、画面映えするし、演技がぎこちないとしても、このドラマは延々と格闘をしていくだけなので、そんなに気になりません。
ボクシング、柔道、テコンドーといった異種格闘技の、(あくまで)エッセンスを楽しませて頂きました。
しかし、このドラマは、どんなターゲット層に視聴して欲しいのだろうなぁ・・・ってことを考える。
格闘技ファンには、取り上げられる格闘技の描写は甘っちょろいものだろうし、ドンホファンにとっては、延々と闘いだけで、恋愛要素皆無なので、トキメキはあるのか?(画面に登場するだけで嬉しいのかな)
このドラマの★4評価は、あくまでも原作に対してです。
「Dr.Jin」のように原作をコリアナイズしすぎて、原作者からクレームが起きて日本での放映差し止め、という愚鈍なドラマではなくて、原作のエッセンスを上手に4話でまとめたなぁ。そこに敬意を表します。
他者とのコミュニケーション不全な男の子が、格闘と言う場においては、拳と拳で会話をするし、まっすぐ他人の目を見ることができるし、何よりも自分の価値、存在を確認できることができる。
なぜ闘うかは、自分のアイデンティティを探しているから。
しかし、その段階を過ぎると、相手とのコミュニケーションというよりも、自分の知らなかった自分の内に潜む、「深淵」を追求したくなるのよね。
物語によっては、その「深淵」を「獸」と呼んだり、「行きつくところまで行く」と呼んでみたりするけれども。
その「深淵」こそが、本当の自分のように思えて、本当の自分の姿が見たくて、とことん突き進んでいく。
格闘(スポーツにしろ)、誰かと関わりたくて始めたことが、次第に自分とは何か、自分とはどういう存在なのか、と自己探求に向かっていく過程が「ホーリーランド」(原作)では、身震いするほど、よくわかる。
求道者のように、ひたすらストイックになって行くさまが、「深淵」を追求するという行為は、ある意味「神」のみもとにひれふしたいと希う・・・という行為なんだよなぁ、そこが「ホーリーランド」ってことだよなぁ、と思っています。
「ホーリーランド」とは、常に、自分の内にあり、そこに目が向けられる人間だけが「生きている」と実感できるのだ。
「行きつくところまで行く」とどうなるのか。
それは、「あしたのジョー」のラストと重なる。「真っ白に燃え尽きた」ジョー。
ドラマ「ホーリーランド」では、そこに至る手前までで、お話は終わる。それが、ちょっと残念。

 

 

 

★★★★

 

 

その時々の、私の心の琴線に触れたモノ・・・ 小説や、映画、音楽、ドラマ、ファッションについてだけの簡単な備忘録。 Everything was beautiful and nothing hurt.

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